2014-07-31 09:33 | カテゴリ:未分類
 晴れ、朝涼し。昨夕、ピーマンをついでに採りそこねたこと論の種になる。
 朝ドラ、蓮子母子に手出し無用と石炭王。この飯塚市の炭鉱王の旧邸が、「花子とアン」効果で観光の人気を呼んでいると地方新聞ニュース。伊藤伝右衛門(1860-1947年)、柳原白蓮(1885-1967年)。
 部長会議。
 ふるさと知事ネットワークの打合せ。
 戒田陸自第14普通科連隊長が転任あいさつ。市ヶ谷の運用第二課長に。
 昼食前の時限に英語講話(高志高校2年9組)。生徒が静かである。昼の時間にlet it beが流れる。
 次回の新観光戦略策定委員会について。産業労働関係の助成対象事業の検討など。
 夏休み親子県庁見学デー参加者(32名)との記念撮影。年長から小六まで、元気そう。
 「内外情勢調査会」の講演と懇談会。高速交通体系・原子力発電・人口問題に加え、幸福度日本一にかかわる各論。川田会長の乾杯あり。



 筑前福岡の藩士野村貞貫さだつら、1859(安政6)年のきょう、66歳を以て逝いた。女流の勤王家としてまた歌人として知らるる望東尼の夫であった。そして彼女の夫たるに恥じぬ立派な士人だった。
 貞貫夫妻は大隈言道に就いて和歌を学んだ。資性忠誠にして勤王の志の厚かった彼は、隠遁後藩中の心ある人々と会しては時事を論じ、或は国史『太平記』を講じたりした。彼もまた先覚者の一人であったのだ。望東尼の勤王もけだし貞貫の感化に拠るものが多かったのであろう(と銑三記す)。
2014-07-30 09:16 | カテゴリ:未分類
 朝方、何度か強い雨音がする。朝は上って曇っている。十時すぎから薄日がさす。比較的すずしい。昨日は新記録の最高温度であった、小浜で38.7℃。
 この時期は夏休みの子供の頃の気持がすこしばかりよみがえるので、七月はどんどん過ぎてゆく。もう七月も27日もなったのかという気持がする。
 夕方畑へゆく。野菜にとっては早暁の雨は一息の慈雨。夕方も灰色の雲多く、肌色の夕焼けが出る。瓜やミニトマトや茄子がよくとれる。



 曹洞宗の明治の四高僧と称される原坦山たんざん、1892(明治25)年のきょう、77歳を以て没す。奥州磐城平に生れ、十五歳で昌平校に入り、兼ねて医術を学んだが、後翻然として志を変じて仏に帰した。
 資性は詼謔(かいぎゃく)、小事に拘泥せず、担山奇言奇行を以て人を驚かすもの甚だ多かった。後帝国大学に印度哲学科の置かれた時、入って講師となり仏教を講じた。
 江戸の俳人、清水超波ちょうはがまだ三十六の壮齢で1740(元文5)年のこの日歿した。
蜻蛉や飛び直しても元の杭。荒海へ舟から投げる氷かな。
2014-07-30 09:11 | カテゴリ:未分類
 猛暑。
 第63回の県消防操法大会(消防学校)に出席する。田村議長、髙木・滝波議員らも。各市町長がだいたいそれぞれのテントに。永平寺消防団から訓練開始。
 鯖江商工会議所青年部と座ぶとん集会を行う。ことし鯖江YEGは35周年。中小企業であるから自己努力もあるが、何んといっても県全体が振うことを期待している。30年以上前の古い商店街の建物が更新時期。
 あさひまつりオープニング(越前町役場前)に参加する。町長談では今朝の消防操法では丹生が優勝したらしい。夕日が熱くて、祭のうちわで日陰を作らなければ耐えられない。幼児の風船上げ、ダンスなどが始まるので、ほとんどのお母さんたちはステージに背をむけている珍風景。
 清水町あたりで穂の出た稲田に何かを撒いている。夕方の野らが白い煙である。



 上杉定正に仕え江戸城に住んだ太田道灌どうかん、1486(文明18)年のきょう、55歳を以て没す。
 道灌、定正の意を受けて、よく国政を修め、民を撫し物を愛し、兵威日に強かった。八州の城主も皆心を寄せた。しかし彼のその武人に傑出したのは、じつにその文雅にあったのだ。文武両道に通じ、まことに当時には珍しい人物だった。有名な山吹の歌は道灌とは関係ないが、美しい日本の伝説として永久に伝えられるべきであろう(と銑三記す)。
2014-07-29 10:06 | カテゴリ:未分類
 はれ。特段の猛暑。
 ひとり親の子供たちとの交流会。みんなで万華鏡をつくり、昼食など(おおい子供家族館)。若狭さとうみハイウェイをはじめて全線走る。湾、湖、津々浦々が真青に目に映る好天。
 歌手の谷村新司さん、北陸DCキャンペーンの歌づくりのため、JR西の野中支店長らとともに来訪。
 藤副理事長(NUMO)が来訪。
 昨日、アギレ氏サッカー日本チームの監督に決定、同氏はメキシコチーム監督として2002年に福井(三国)キャンプ。
 ここ数日、台湾機、アルジェリア機が墜落。なにか事故発生による確率ありか。
 浙江省の福井観光大使をした胡偉白氏や家族のみなさんが来訪。20年にわたって受け入れてくれた医師家族や観光協会等といっしょに懇談。



 地理学者の長久保赤水せきすい、1803(享和3)年のきょう、85歳の高齢を以て没した。常陸赤浜の人で水戸藩に仕えた。小時、家が貧しかったが学問好きで、日となく夜となく勉強した。その学、何ということなしに博かったが、最も地理に精しく、『日本輿地路程全図』その他、和漢の輿地図、地理志数種を著した。我国の人々は赤水の地図に拠ってはじめて日本全島の観念を得ることが出来たのだ。
 「近世畸人伝」の著者、伴蒿蹊こうけいが74歳にて、同じくこの日に歿。
2014-07-29 09:57 | カテゴリ:未分類
 くもり、小雨も一日の途中あり、北陸は梅雨がまだ上ってないらしい。
 7月の記者会見。人口対策新組織に改組、国体選手帰住サイト、由利公正展(竜馬、後藤書簡など)、県民歌の新メロディの依頼、夏のブドウ(紫)など。質問は原子力がほとんど(美浜事故十年、川内、滋賀)。
 経団連首脳懇談会に出席する。最近の県政をあいさつの中で説明。国体選手の確保要請。車の購入は、4台に軽自1台の割合の時代から2台に1台に変化している。東京から2時間圏に福井を。運転手の雇用確保が問題となる。水素自動車は、結局電力をつかう。繊維は利益はともかく来年まで見通しあり。
 敦賀市、越前市からのそれぞれ来年度の要望を40分ほどうけて意見交換。県議同席。
 幼保、医療等の関係者と懇談(ユアーズ)。



 鈴屋門の国学者横井十郎佐衛門・千秋、1801(享和元)年のきょう、64歳を以て逝いた。千秋ちあきというはただ学問上にばかり用いた雅名であったのだ。家は千石を領した名古屋藩の重臣。
 彼は宣長の門人としてよりも、その保護者として記憶さるべき人であった。宣長の曠古の大著述『古事記伝』を、巨資を投じて上梓させたのは彼であった。彼は実にわが近世文学史上の一恩人であった(と銑三記す)。
 女流の俳人、花讃女かざめ、1830(文政13)年、歳わずか二十三にして逝いた。句集「萩陀羅尼」凩に歌舞伎見る夢をさまされし。
2014-07-29 09:33 | カテゴリ:未分類
 夏の快晴。オスプレイを佐賀空港に配備したい旨の正式要請(朝刊)。
 野上国交副大臣、徳山新技監ほか幹部に対し舞若道のお礼。
 石井国交審議官、深澤道路局長、小関都市局長、佐々木国交審議官にも。都市局においては都市公園、体育館の資材値上り対応予算。
 国交省一階のホールは混雑している。山形知事、三重知事に遭う。
 2時半から第三回の原子力小委員会に出席する。敦賀市長から現場報告。当方からは廃炉・リプレース・中間貯蔵の施策一本化、重要なベースロード電源・原子力依存度低減、温暖化対策などをもとにしたベスト・ミックスの決定を求める。原子力事業者との質疑多く、会議運営ややわからず、改善を求める。夜8時過ぎ帰宅。



 儒者の頼杏坪らいきょうへい、1835(天保5)年のきょう歿した。歳七十九。頼三兄弟の末。杏坪先生の事蹟として特筆せなければならぬことは、彼が学者であり、教育家であっったと同時に、また立派な広島藩の行政官であったことだ。
 杏坪五十六歳にして、三次郡などの地方の役人となりついで代官となり、『経書』に拠って学んだところを実際に行った。そしてその職にあること二十年の久しきに及んだ。彼は老軀を提げて、進んで難局に立ったのであった。
2014-07-29 09:26 | カテゴリ:未分類
 くもり。
 部長会議。嶺北特別支援学校(10名)が引率先生3人と県庁見学。
 本年度の県安全安心まちづくり推進会議。児童・女性の安全、高齢者に対する詐欺対策など。全国で子供の事件あり。
 児童福祉事業基金へ寄付された小川英子さん(女性防火クラブ連絡協議会長)に感謝状贈呈。
 野津パナソニック北陸支店長が着任あいさつ。
 日本銀行(金沢支店)との情報交換会、わるい傾向はあまりみられないとのこと。
 県営体育館の改築予算単価について。
 県庁管理職のob会。
 東京出張す。東京は今日が梅雨明けとなる。



 左衛門尉景晋かげくに、後に隠居して楽土らくどといった遠山金四郎、1837(天保8)年のきょう74歳を以て没した。昌平坂学問所での試験後数年にして御徒頭となり、目附になり、長崎奉行となり作事奉行となり、勘定奉行となり、老を以て致仕するまで朝に立つこと凡そ四十三年、前後の勲績すこぶる多かった。刺青ほりもの奉行として知らるる遠山の金さん(景元)の父である。
 また私人としては趣味の人だった。読書を好み、音楽を好み、老後はつねに雅楽鄙歌を謡って自適し、その余生を楽しんだ。父子ともに久しく官にいて令聞令望あり。
2014-07-29 09:18 | カテゴリ:未分類
 猛暑である。朝、甘薯の粥を食す。梅雨がきのうの早朝の雷鳴によって、今日からは明けたのではないかと思った(気象庁からの公式発表はまだない)。蝉も鳴いていると家人いう。花壇のトウモロコシもどんどん伸びて、雄花が縁から淡黄色に変ってきた。きのうの嶺南のイベントでの売店の人の話によると、雄花を早くとらないと蟲がきて粒が抜けるというのだが、どうしたらよいのかいま1つ方法が不明。
 三連休の最終日、きょうは久し振りに休みがとれた。自分はともかく、この週末は若い人達に何かよい事が起ってくれていたらよいかなと思う。
 八月のセミナーに村山由佳さんがゲストということなので、彼女の著書を読む。「楽園のしっぽ」(2005年 文藝春秋)、キャロル「不思議の国のアリス」村山由佳訳(2006年 メディアファクトリー)。作家は房総の鴨川に田舎ぐらしをしていることを知る。不思議の国のストーリーはもともとが混乱の極みなのだが、それにしても子供向けの訳に比べて後半部がなんだかややこしい。
2014-07-25 08:42 | カテゴリ:未分類
 早暁、大きな雷雨が何度もひびき強い雨音が周期的にくる。市内などで一部浸水あり。朝には上っており、8時すぎに家を出発するころには空は青い。しかし、嶺南に近づくにつれ雲が多く雨も落ちる。また完全に天気図の雨雲が南に下りてゆかず、レーダー図ではあいにく、敦賀あたりで強雨の影が局地的に付いている。
 舞鶴若狭自動車道の開通式を美浜町総合体育館で行う。結果として三十分ほどで天気に変ったのだが、テープカットは体育館内で行う。外に出ると晴れ。中日本道路の茶村会長、宮池新社長も出席。森局長(近畿地方整備局)、中神高速道路課長ら。地元の人たちの期待の映像も流れる。
 三方五湖PAから三方ICまでの間、関係する車両、すなわち工事用車両、コンテナトレーラー、エレファンツのバス、恐竜ラッピング車、消防車など走行し、通常のわれわれの車両も髙木副大臣から順にパレードする。まず風船がゲートのところで上る。高い視点が得られ、またルートが全く初体験なので、山々や湖、集落の景色も美しく感じる。鳥浜トンネルの西側あたりの田圃ではもう稲穂が出ており、赤トンボもわずかに飛んでいる。
 三方青年の家において田村議長、森下若狭町長らと弁当。
 そして建物を出て、若狭路さとうみフェスティバルのオープニングセレモニー(縄文ロマンパーク)に移る、すこし歩くだけでともかく暑い。緑の若狭町長推賞のTシャツを着す。県内各地から多くの売店がテントに、ステージでは合唱、その後セレモニーのあいさつ。高橋愛さんの司会で各市町のキャラ全員と恐竜の新参三兄弟。最前席では扇風機を回してミストを発している。ステージ裏は涼しくて、湖から風が吹いてくる。
 3時からの開通であり、まだ一時間早いので帰りは下道を戻る。



 維新中興の功臣であった岩倉具視、1883(明治16)年のきょう、59歳を以て薨じた。公は実に天成の政治家であった。
 維新後の公は明治政府の柱石であった。断然開国の国是を定め、しかも国体の基礎を重んじ、明治天皇の御覚えもめでたく、翼賛の功が多かった。その剛毅な性格は時に剛愎と取られ、奸物と罵られなどもしたが、しかしそこには公家ばなれのした公の人物の重みはあったのだ。
2014-07-24 09:49 | カテゴリ:未分類
 野外恐竜博物館オープニング式(勝山市北谷)。3台のバスで恐竜博物館から現場へ行く。雨は幸い降らず、曇りだが途中さっと陽も射す。現場は今月末から始まる第二次発掘に備えて、重機が動き研究員たちが放水している。
 谷川の水は豊富に流れ、うぐいすの声がする。テープカットは、田村議長、山岸市長、松井議員、藤崎元大使、ダニエル・アギラル氏(スペイン大使館)らと。村岡小の子供たちと発掘体験、岩石は割ってもすぐには出て来ない。
 夕方の畑のスイカが何個も割れている、なにゆえか。真桑瓜もあとわずかで収獲か。メロンはもうすでに。なすびもどんどんなっている。きゅうりは後半期。



 徳川の忠臣で、また明治朝廷の忠臣で、剣客で、また禅居士であった山岡鉄舟、1888(明治21)年のきょう、53歳を以て没した。殊に彼の人物は、海舟の弔文中の「清爽の心臓」、「勇剛の気象」の二語に依って、遺憾なく描き出されているといっていい。
 居士は何事にも徹底せずんば止まない人であった。殊に生涯を通じて最も刻苦されたのは剣道だった。剣についでは禅に非常に骨折られた。自家であるとないとを問わず夜は必ず二時まで坐禅された。
 久坂玄瑞、1864(元治元)年のこの日、蛤御門の変で死去す。