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2013-11-03 16:13 | カテゴリ:未分類
 昨日は暗くなったころから小雨、次の大きな台風はあさってごろ来るか。朝刊に、小学三年生から英語教育を導入との文科省方針。3rd-graders to have regular English classes. Will there be enough teachers?(The Japan News)
 けさは雨上りの晩秋、田野の風景はひつじ田、まばらな白いソバ畑、里山にただよい残る低い霧のような雲、堤防のススキを花に採る主婦あり。
 十時の便(ANA)で上京。うろこ雲の群と群の間にのぞき見える下方の濃尾平野は、空のように青い緑色。隣席の三谷会長(金沢)と空談。
 東京は霧のような雨であり、湾岸のつり橋がかすむ。
 天皇陛下、皇后陛下に北陸地方の本年の米・粟の作柄を奏上。御会釈において万歳三唱を行う。小雨の中、賢所から徒歩で傘をさして移動し、新嘗祭の神殿となる神嘉殿を拝観する。その後同所にもどり、門氏・大石氏による献納式、旭日の屏風を背に記念写真の撮影。賜物は紅白のあん入り干菓子、みなでいただく。
 R.ソックスがS.カージナルスに先勝(日経夕刊)。オリンピック詐欺という新型のものが出る(同)。
 揺れるJAL機内のワルツ曲。ドヴォルザークの交響曲8-(3)、ベルリオーズの幻想交響曲(2)、ショスタコーヴィチのジャズ組曲2-(2)、チャイコフスキーの花のワルツなど。
 夜、餃子のおじやというものを試みる。


 花のお江戸の踊り好きの畸人、辰巳屋惣兵衛が1821(文政4)年のきょう86歳で没。もと江戸前の俠気の者だったが、若い時から神楽や滑稽な踊りをし、道化た女の風俗などをして祭礼に飛び出し、人の腹の皮をよらせた。名前も売れて諸侯にも招かれたが、金銀は決して受けず、費落ついな(現代語は何か)になるのを厭わなかった。あまりに評判のため、商売人の方から苦情がでても、渡世にするではなし遊びなのだからといわれて、咎めようもなかったという。
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2013-11-03 16:15 | カテゴリ:未分類
 一日雨、昼ごろはよく降る。
 記者会見。廃炉・新電源対策室の設置、白川静賞と月間事業、松旭斎天一のコレクション入手など。
 小牧社長といっしょに、町屋再生事業の採択を受けた相生町の博物館通りの三店(中川、松永、喜多村さん)を視察。レストラン、パン販売や陶器など。元気そうな女性店長。
 「海湖と歴史の若狭路」発信事業の委員会に出る(若狭町のレピアで)。舞若線完成を考えて、各市町がまとまったプロジェクトを行う気運を早く出さなきゃ。
 今日の雨の様子から、午後のうちに念のため、海士坂地区に町が避難勧告。遊子の仮設道は夕方から通行を一時止める。
 第8回エネルギー分科会について、11/14石川知事との懇談会について。
 嵐から時雨になるをひとり聴く(という心地)


 木村蓬萊、1766(明治3)年のきょう51歳を以て没。十二の歳に江戸に出て徂徠に学ぶ、徂徠の死により、尾張に帰って力学する。後に京都に出て学を講じ、安房・勝山藩の酒井忠隣ただちかに知られ儒臣となる。講説は巧にして言語明爽、中江藤樹の人となりにすこぶる似ていたという。仁慈の心に富み、若かりしころ酒楼で知った二妓が逐われて窮しても、これを憐れんで家におき、客人の如く待遇しやがて支度を調えて嫁がせたという。細井平洲と久しく交わる。
2013-11-03 16:18 | カテゴリ:未分類
 朝から、昨日につづいて雨降り、昼からはくもって風あり。晩秋故か台風がまだ去り切っていないのか、台風一過らしくない冬曇り。庭の紫式部の色いよいよ濃く鮮やかにして、一ヶ月あまりそのままの色。
 九頭竜川の福井大橋から上流のところでトビが10羽ほど低空の徘徊。
 国際ロータリーのインターシティ・ミーティング(丸岡南中の講堂にて)。丸岡ロータリー(奥村会長)がホストクラブ。文房流の甘い茶と栗きんとん(西洋菓子倶楽部)をいただく。林田前町長から学校施設の案内をうける。オープン回廊式であり、科目ごとの教室形式、特別の教員室なし。
 講演予定の論語学者である加地伸行先生と立談す。ロータリー大会のテーマが「善の心をもって」。
 刈安山(548米)に登る。行きは権世を通り帰りは熊坂へ出る。森林公園は石川県(山中町)との境界である。今年のいまの時期は、まだ紅葉にはなっていない。雨上りの中ぼんやりはしているが、日本海、北潟湖、雄島、風力発電などが見える。野生の小粒のブドウ(種はちゃんとある)、キウイ味の緑の実、リンゴと渋柿の混合味の茶色い実あり。野生のムラサキシキブもある。茸狩りはややはやいという感じである。
 夜また、しぐれのような雨音が来る。


 熊本藩城主の細川重賢しげかた(霊感公)が1785(天明5)年のきょう66歳を以て卒せられた。紀伊の徳川治貞はるさだ卿とあわせて「紀州に麒麟、肥後に鳳凰」と謡われた名君であった。人材を登用し適材を適所に用い、自ら倹徳を以て衆を率いた。「鍋釜のまじないには細川と書くとよい。金気が止る」と江戸で悪口をいわれたほど不如意の藩財政を一変させる。少しも高ぶらない玉のような人格者であった。
2013-11-04 09:41 | カテゴリ:未分類
 台風あけの晴天。
 社北公民館まつり(森国館長)の開会式に出る。テントも沢山でている。館内でも文化展。街づくり、習字、図画、スローガンの表彰あり。社中学のオーケストラ部による(応援したバイオリンなど弦楽器が加わっているのを見てうれしい)、サウンドオブミュージックのメロディ。山本芳男議員もあとでみえる。焼トリを一本食ってコーヒーも一杯。
 座ぶとん集会(東郷ふるさとおこし協議会、こびり庵)。まじめに取り組んでいるグループである。朝倉氏遺跡との連携が大事。和食が世界遺産になるとのことだが、報恩講料理もその一つ。
 県母子寡婦福祉大会(ユーアイ)。
 西風が強く体に当って、頭と眼がいたくなる。大根に周りの土をかける。ピーマン、万願寺唐辛子、大根葉を採る。
 夜、日本シリーズ第2戦、投手戦(田中-菅野)、楽2-巨1。
 釣狐(和泉流)、古狐「要らぬ物ぢゃ、古塚へ戻らう」とは結局ならず。小鍛冶・白頭(宝生流)は格調高い(今晩の「古典芸能への招待」から)。


 近世に於ける木工名人の小林如泥じょでい、1813(文化10)年のきょう61歳を以て没。御大工師として松江藩に仕え、彫刻、指物に名を成す。時の藩主で茶道で名を知られた松平不昧ふまい公に愛される。酒を好み、ある時泥酔し侍に突き当り、すんでに手打ちにされるところを、不昧公が「あれは泥のような人間だ。許してやれ」となだめて、命拾いをし、それから如泥と号した。十四間の長縁板を截るのに、「少しでも休んだら手に狂いが出来る」として、途中で一度も腰を伸ばさずに截りおおせた。
2013-11-05 16:49 | カテゴリ:未分類
 今朝は全くの快晴であり、雲一つなし。河原のススキや水面が白く光る。桜並木からの落葉が路端にいっぱいである。神社の境界には、七五三祭りの幟が立っている。
 部長会議。上京、羽田は18℃で晴れ。
 「総合資源エネルギー調査会」の基本政策分科会に出る。最初ハムレ博士(米国戦略国際問題研究所長)の講演、多くの質問の中で発送電分離案については、十分理解していないとして答えない見識。そのあとは委員会として原子力の将来技術など議論(2時~4時半)。
 芸術の秋、モローの弟子のルオー。
 世界は人間の脳が判断したものであり、我々が思うほど客観と主観は判然とはしていないのである。多数の像から1つのモノを特定して認識する。例えば、光は上側から来るという前提で、脳が機能している(藤田一郎阪大教授談、ラジオ録音から)。


 随筆「耳嚢みみぶくろ」の著者として知られる根岸守信もりのぶが1815(文化12)年のきょう80歳を以て没。小普請から諸役を経て勘定奉行、町奉行に遷る。訴訟を聴くに公平にして明断、世こぞってこれを称賛す。「耳嚢」は奇話逸聞に富み、当時の社会相がいろいろ知られて面白い。下情によく通じ、人を推挙するに器を誤らず。微言をきらい、大きい声を好んだという。
2013-11-05 16:50 | カテゴリ:未分類
 東京は一日中雨がちである。
 「中部縦貫自動車道」に関する要請活動、笹岡議長、大野・勝山市長、永平寺町長、福井市副市長といっしょに。
 山本博司財務政務官(公明)。山崎参議院議長の公邸へ、平山郁夫氏の描いた正倉院の絵あり。鳥の声がさかんにする。
 参院のエビ天ソバは質・量(五百円)ともよろし。
 昼から、国土交通省の足立技監、増田次官、野上副大臣。そして太田大臣へ、好意的。自民党の森山総務会長代理、三原副幹事長(福岡)。
 このところホテルのメニュー偽装表示のニュース、以前は料理店にあった。料理は中味と出し方。日本シリーズ、楽天2勝1敗。
2013-11-05 16:51 | カテゴリ:未分類
 朝一便で福井に戻って、「里山里海湖研究所」の開所式に出る。風が吹きはじめ雨がふりそうになるが、行事の天気はもつ。事務所の建物から三方湖を見ると、今日は濁って波立っている。所長就任の進士五十八名誉教授と懇談。
 また新幹線で敦賀から上京、高月で25分ほど止る、農道との踏切でトラックが脱輪したとのこと。新幹線がそのため一便おくれて東京には一時間弱遅着。


 賀茂真淵、1769(明和6)年のきょう73歳を以て没。遠江の禰宜の系、浜松の宿屋の婿養子となるが、本ばかり読み折合が合わず。三十七歳で晩学ながら京に上り荷田春満に学ぶ。さらに江戸に出て古学を以て立つ。名声、名著もなったが、本領は学者というより文学者・芸術家であった。暴風雨にあい家の屋根が飛ばされる有様にも、常と変わらぬ様子で見舞客に、「野分してあがたの宿はあれにけり月見に来よと誰にいはまし」と詠む。
2013-11-05 16:55 | カテゴリ:未分類
 朝刊、川上哲治(元巨人軍監督)が93歳で没。
 昼から秋の園遊会に出る。花の咲いている桜の一木あり、上空にヘリよく飛ぶ。
 天皇皇后両陛下に米・粟の献納の御礼、また秋篠宮親王同妃両殿下に今夏の恐竜博物館へのご視察について御礼を申し上げる。天気がよくお迎えしていると、日ざしが暑いくらいである。途中から羊雲がでてきて普通になってくる。
 何か物を渡そうとする人の姿が遠くにあり。由紀さんがインタビューをうけている。青森、秋田知事そのほか。麻生元総理、菅官房長官、二階議員などの国会議員にあいさつ。県関係者には皆会う。
 街の看板に書かれた言葉「足場があるさ」(南青山3丁目)、職人募集の月収150万円とある。
 最終便で帰福する。


 乃木希典まれすけ大将の父、乃木希次まれつぐが1876(明治9)年のきょう73歳を以て没。大将がまだ幼い頃、冬の日に「寒い」というと、希次は「暖かにしてやろう」と子の着物を剥いで、井戸水を三桶までも頭の上から掛けたという逸話。江戸藩政の建議書がもとで百日の閉門にあい、隘屋で不自由な生活となる。自ら台所に出て煮炊きまでしたが、いざ食事になると主人たる己と僕の己とを区別して、羽織袴をつけ自分で据えた高膳に厳然と威儀を正して坐して食した。のち抜擢を受け藩の世子の傅役となり、厳励さを以てこれに臨む。希典出仕の後は、帰宅するまで待って食事をとらず。
2013-11-05 17:02 | カテゴリ:未分類
 晴れ。
 「空前絶後の岡倉天心展」が開会する。フィラデルフィア美術館のフェノロサのコレクション(芳崖「飛龍戯児図」、雅邦「毘沙門天図」)も出品、フェリース・フィッシャー学芸員が解説。帰路、「クールジャパンのさきがけ」岡倉天心という面白いキャッチコピーの「こども歴史文化館」の特別展示も見学する。
 FM福井で番組収録(里山里海湖研究所について)、リクエスト曲「アルゼンチンよ泣かないで」(マドンナ)。
 退任あいさつに鈴木前中小企業庁長官が来庁、懇談する。
 県立大学のアジアの大学との協定などにつき、下谷学長らと協議。
 南条中学校(1年生35名)が県庁見学。
 白塚支店長(日銀金沢)らと意見交換。景気は回復、北陸だけがやや遅れ気味だが懸念材料はないとのこと。
 白川漢字教育賞の第一回受賞者について、津崎氏、棚橋氏、笹原氏が報告。
 環境基本計画について打合せ。手塚特別館長等と懇談。


 長崎に於ける儒学の祖、向井元升げんしょうが1677(延宝5)年のきょう69歳を以て没。少時、父に従い備前から長崎に移る。ほとんど独学で一家をなすに至る。兼ねて医を学び儒医として立つ。長崎奉行に請うて聖廟を建て私塾も開き、大いに儒教を唱導。五十歳にして京都に出、医を以て名声を挙げ、皇族などから招聘され良医の巨擘きょはくとされた。高禄で召し抱えようとした大名達も多かったが辞して就かず、同地に終った。蕉門十哲の向井去来の父でもある。
2013-11-05 17:05 | カテゴリ:未分類
 快晴、あったかい。しかし、昼から鱗雲が広がって曇ってくるが、雨が降るほどではない。一昨日、ミカンが急に黄色がつきはじめたのに気づいた。きのう二個をもいだらしく、うち一個はまあまあの味とか。
 福井農林高校創立120周年記念の式典に出る。はじめに全生徒が「木を植える」(谷川俊太郎作)を合唱。祝辞で農業は一生のこと、英語自学のことを述べる。山本芳男議員も祝辞。長谷川校長と校長室で談、大学入試は推薦がこれから。きょうあすと農文祭、また16日はアオッサで合同の農業祭を予定。
 そのあと第二体育館に移って餅搗きをする。田辺氏の甚句に合わせ小生もつく。106歳の豊田三郎画伯も杵を五、六回とられる驚き。おろし、きなこ、ぼた餅で皆と食ふ。豚汁、おろしソバも出る。相撲部と写真を撮る。豊田さんと個展を見学(農友会館)。油絵の静物画に余白をつくる難しさと努力を語る。
 帰路の山際、子供たちと一緒になってソバの刈入れをする三世代家族を見る。林の中から焚火の煙ものぼる。朝倉氏遺跡は観光客三々五々。
 第60回社会福祉大会(生活学習館)に出る。ろう学校三年の砂川君がボランティア作文コンクール受賞の朗読を発表。
 二時すぎから羊雲がでて、日の光がぼんやりしてくる。
 午後の後半、畑へゆく。玉葱用の二畝を、もう一度耕し直す。育った苗を植え終えたので籾殻を展げる頃に暗くなる。虫の残りの声がまだ少しあり、きょうは暖かかったせいか。その間に大根の下葉も欠いて土を寄せ、白い根首がみえないようにする。


 歌人の木下幸文たかぶみが、1821(文政4)年のきょう四十三の壮齢で、師の香川景樹かげきに先立って没す。同門の熊谷直好と共に桂園の双璧と呼ばれ、文にもすぐれた。山上憶良の「貧窮問答」に倣い歌百首を詠み「貧窮百首」を成す。曙覧の「独楽吟」には余裕があるが、幸文は徹頭徹尾、霜夜の月光のように悲寥。和歌史上に独特の位置を占むるものである(と森銑三は記す)。
2013-11-12 10:16 | カテゴリ:未分類
 午後から雨がふる。家にいる。植え替えられた玉葱にとってはよい雨。永平寺中学生向けの講演の原稿を作る。きのうは把手の折れた短いスコップをそのまま不精をして使ったためか、親指がいたい。


 馬場辰猪たつい、1888(明治21)年のきょう39歳を以てフィラデルフィアで客死。土佐藩士、明治十年代の若々しい日本の政界において、自由党の副議長として鳴る。その雄弁さは、当時の政客中に一頭地を抜き、美男かつ美声、その演説は人々を恍惚させた。冤罪をうけたが、やがて無罪が判明し、出獄するとすぐ米国に赴く。演説あるいは文筆に論述する所多く、人の耳目を聳動しょうどうした。英文が達者に書け、外国で多くのパンフレットを出版した。終生娶らず。
2013-11-12 10:19 | カテゴリ:未分類
 昨日は午後の後半から小雨(しぐれ)が来たが、今朝の天気は晴れ。
 山口選手世界Jr.に初優勝、おめでとう(朝刊)。楽天がシリーズとる(朝刊)。
 鉢の三個目の蜜柑を、はじめて初物として車中に食す。アマの作ながら皮がうすい。
 10時から国道305号ホノケ山トンネル開通式典(文化会館)。インターの売店に人多し。平成16年から85億円(6.4km)かけ完成。あいさつにおいて、町民の諸氏に観光、まちづくりの活用努力をいう。終って、トンネルの東口(奥野々)の会場へ車で行き、テープカット。南条中の吹奏楽部(18人)は白のフォーマルな服装による演奏。南条・河野幼稚園の親子の風船放空、谷の山腹の杉林に数箇かかる。そして通り初め、しかしトンネル西口(河内)に出て突然に雨が降りはじめ、すぐに強く降る。式典が終って直後のことだったので、本当に幸いした。桜橋のところで左旋回、そのため互いの列がよくみえ、何台かバスが後列部につづく。トンネルの東側に又戻っても雨が降っており、中学生はテントの中で雨やどり、大人はバスの中。こんどは花ハス温泉「そまやま」に移っての記念祝賀会。周りから促して前町長に千秋楽を謡ってもらう。参加者の話では、かつては奥野々や河内の村落はプロパンが普及するまでは、炭焼きで生計を立てていたようだ。
 昼からはくもり、そして晴れ。帰り道、日野川右岸の鋳物師や平吹の村を通る、立派なたたずまいの民家多し。
 県立図書館で講演に来県の津崎夫婦と会う。きょうは図書館にとくに入館者が多い。寄贈をうけた白川静先生に関する蔵書(立命大)や、先生が辞書編成に用いられた原稿などが新たに展示。古文書館では、戦前の陸軍大演習の記録写真などを展示している。


 幕府の医員であった望月三英さんえいが、1769(明和6)年のきょう、72歳を以て没。享保年間、将軍の侍医(奥医師)に進み法眼に叙せられる。愛憐の心深く、どんな下賤の者であろうと頼まれれば診察した。橋の上に乞食の子供が疱瘡を病んでいるを見て駕籠を下り、脈を取り薬を与えた。治療に長じるだけでなく服部南郭に学び、日本中の医書を読破することを望んだ。これを聞いた吉宗は三英に命じて、秘庫の方書を校合させ、舶載のものも欲するままに官費を以て購わしめた。
2013-11-12 10:23 | カテゴリ:未分類
 強い朝霧である(この秋の二度目か)。昨夜、雨がすこし落ちたようだ。
 部長会議。
 政策議論をはじめる(産業、人口政策)。
 秋の叙勲・褒章伝達式。
 関西電力ボート部が全日本選手権優勝の報告。先日、NHKテレビでちょうど男子舵手付きフォアの勝利の様子を観ていた。足羽川などでの練習はできぬか。
 川畑委員長(県教委)が就任のあいさつ。


 伊勢神宮の神官で国学者として知られた足代弘訓あじろひろのりが、1856(安政3)年のきょう、73歳を以て没。はじめ荒木田久老ひさおゆに就き、のち、江戸に出、京都へも上り国学者や漢学者の一流の大家と学び交わる。当時の学者が、一家の見を立てようと僻言するのを憎み「己は見識のないのを見識としよう」と、考証のみを事とする。また経世の志あり、天保の飢饉に伊勢の窮民が多く餓死するのを見るに忍びず、古写本「貞観政要」を津の藤堂侯に奉って米千俵を請い、賑恤しんじゅつの料とするなど、人の急を救うことが多かった。
2013-11-12 10:25 | カテゴリ:未分類
 快晴。
 永平寺町の「中学生 立志の集い」に講演。皆さんの座右の銘、左内の最期の様子、正岡子規のこと、光を放つべきことについて話す。「振気」に関して王さんのサインバット(「気力」)を回覧する。
 昼食懇談となり出席の中二生たちと弁当を食べる。エビ天を三本食べる元気な生徒あり。
 帰りに、町長らと東古市駅前の古民家に立寄る。喫茶をかねているCHOTTO。スコーンというものを初めて(?)食す。赤い大黒柱、黒いにすすけた松の梁木など眺めて落着く。
 上京する。機中に弦楽セレナード(チャイコフスキー)、無伴奏シャコンヌ(バッハ)渡辺玲子、「鳥の歌」カザルスat the present of JFK
 安田喜憲教授と面談する。里山里海湖研へのご指導、水月湖の年縞と立命大の研究組織との連携などについて。
 今晩はわりあい寒くはなっているが、あったかいといってよい。
 大観、土牛、青邨、鐵齋、龍三郎、山縣、東郷


 野村望東尼ぼうとうに、1867(慶応3)年のきょう62歳を以て没。夫・野村貞貫の死後、遺志を継いで女流の勤王家として立つ。夫と共に隠れ住んだ山荘は密議所となり、勤王党の人々が彼女を慈母の如くに慕うて集まる。高杉晋作、月照上人、西郷隆盛も訪れた。男の子も及ばぬ女丈夫であったが、淑やかな、慎ましやかな、女らしい女でもあった。和歌を詠み、王朝時代の女流に比して遜色のない歌人であった。「一度は野分の風のはらはずば清くはならじ秋の大空」。
2013-11-14 09:47 | カテゴリ:未分類
 11月のつめたい雨、くらい空(Tokio)。雨雲が高く機がよく揺れる。
 北陸道の帰路、加越国境では、紅葉が美しくはじまったことに気づく。
 平林たい子(作家)、戦前の圧迫で8年間病床にあり。信州の高女で土屋文明などあららぎ派の影響をうける(車中、ラジオ録音をきく)。
 陶芸の里、水野邸など。来年のエネルギー拠点化計画を決める会議の運営について。
 福井県農業委員大会に出席する(ユーアイ)。TPPの朝刊記事(減反補助の削減)について、挨拶で強い声なし。
 ふたたび上京する。日程がいまいち。今夕は昨日とちがい雲の上は開けていて、そこからは晴れて夕焼けている。湾岸のループ橋の鉄格子の向側に美しい三日月が併走する。


 本居宣長の長男、春庭はるにわが1828(文政11)年のきょう66歳を以て没。体は至って健康でなく、中年から目を病み三十三の歳に両眼とも明を失い、針医となる。温順篤厚の長者で人と争わず、恭謹よく下った。生まれつき記憶力のよかったのが盲目となり更に一段と強くなる。書を講じて考証の書を挙げるのに、「何の書の何の巻の何丁目にある」といい、一つとして違わなかったという。門人は二十二国四百十六人を数える。
2013-11-14 09:57 | カテゴリ:未分類
 全国農林水産祭、早朝より秋篠宮両殿下が会場をご見学。
 福井は上庄里芋、ふるさと厳選米、水ようかんを出展。大野市長らと展示の仕方をあれこれやってみる。天気は全くの快晴で、日当たりのところは暖かい。長崎のミカン、和歌山の梅干し、北海道の豆類、山梨のブドウ、その他のブースでは次郎柿、富有柿などうまそう。白兎を2羽あやしながら展示する人たちあり。
 12時から知事会主催の全国知事会議に出る。法人税源の再配分、道州制について意見があったので県の立場で発言。途中、井戸知事に北陸新幹線の要請について必要なことを伝える。
 3時から政府主催の全国知事会議。前半の各閣僚との懇談は運営不調。5時半からの後半の内閣総理大臣との懇談はまたむずかしくなり、最後の6時半ごろようやく順を得て、総理、官房長官に原発、ふるさと納税について要請を。
 終って官邸前の外の暗がりに出ると、反原発の単調な音声、会館前では別方面の抗議の声あり。
 東京湾岸のビル照明が、節約以前のように輝きだしているのに気づく。今日の晩は、東京上空の機窓から三日月が見え、暗い地上では街の灯が点々線々。
 帰宅は十時をすぎる。朝食は鍋のおじや、昼は会議のサンド、夜は車中おにぎり。早目に就寝。


 坪井信道しんどう、1848(嘉永元)年のきょう54歳を以て没。はじめ名古屋ではたかなえに学び、十四の歳に江戸へ出て倉成龍渚りゅうしょに就き、ついで中国から九州へ渡り。広く大儒名医に従学す。江戸に戻り津山藩医の宇田川玄真に西洋医方を受ける。坪井信道の苦学は苦学以上の苦学であったが、窮乏に処して気力少しもしおらず、やがて深川に開業するに及んで治を請うもの門に充ちた。萩侯その名を聞き侍医に聘し、加増三百石に至り、江戸の三大蘭方家と称される。就いて学ぶもの数百人、そのうち緒方洪庵が最もあらわれる。
2013-11-14 10:00 | カテゴリ:未分類
 やや薄日の小春である。鉢の蜜柑がどんどん黄色を帯び、その熟す速さに感心。ムラサキシキブの実の色はまだはっきりしており、葉の方が急に黄葉してきた。一週間ほど前からグミの花が実に地味に咲き出し、それを今朝もながめる。おばあちゃんの普段着のような茶灰色の花の外側をみせる。大きさや形はちがうが、咲く季節や色合いが枇杷の花と似る。
 1時からの「児童福祉推進大会」(ユーアイ)に出る。最初に、いづみ保園児が、やきいも、数え唄(隠居さんや狐などがでてくる古い面白い歌詞)、君と僕のあいだ(?)、といった手話を混えた子供たちの合唱を楽しく見学。表彰中にマイクがびっくりするような音を立てる。
 福井奇術同好会(清水会長)の有志と座ぶとん集会をする(子ども歴史文化館)。クリスマスから正月にかけての子供の頃の楽しい想い出がよみがえる。
 第29回スーパーレディス駅伝の開会式に出る(福井市農業会館)。この会に出ると年末に又近づいたという気持になり、早く暗くなってゆく会場の夕暮に、そのようなことを思う。
 島倉千代子さん死去(75歳)。漫画「アサッテ君」‘立ち食いそば、にイスがある’「おーい栗之助」‘金太郎あめに力水ちからみず、なにそれ?’(どちらも偽装食材を揶揄か)


 吉田雨岡うこう、1802(享和2)年のきょう66歳を以て没。幕府の吏人、人となり明敏にして吏務に練達した。隅田川に橋を掛ける議が再度出た際、泳ぎをよくする者を選んで実際に調べ、柱の立てる方法を按じて断然架することを建言。今の吾妻橋となる。天明六年の洪水でこの橋が流れようしている様を見て、橋の真ん中だけをこわし水勢を殺いで橋全体の流壊を防ぐ。田沼時代に免黜めんちゅつ(官職を解かれる)を見るに至り、その後は東叡山の時雨岡に退居し、詩才もあり優遊自適す。
2013-11-15 09:31 | カテゴリ:未分類
 早暁、凩が襲来したような強い風の音をきく。午前中は雨の止んでいる間もあったが、冬の前触れのような雨が正午すぎに強くなり、黄葉したサルスベリの高木などをゆらしながら斜に降る。レディス駅伝の声が公園から聞えるようだ。運営が気になったが、そのうちにやがて雨はほとんど止む。
 けさは寝ぼうをしたので、正午のサイレンがすぐに鳴る。朝7時から正午までは5時間である。正午から晩7時までは7時間である。生活の上で朝起をやや早くしても、午後が長目になる時計である。


 不羈豪放の地理学者の古川古松軒こしょうけんが、1807(文化4)年のきょう82歳を以て没。倜儻てきとう(才気があって優れている)にして大志あり、師承なくして最も地理に精通し、西は九州・鬼界が島から、北は奥羽を越して蝦夷を窺い、「西遊雑記」「東遊雑記」を著す。その間、山をじ、とうを渡り、時には船が覆ろうとしながら、彼は自若たるものがあった。寛政期に松平定信の命を受け江戸近傍を調査し、武蔵五郡の地理を作る。禄を授けようとしたが「腰を曲げることは不得手」と受取らず、郷里の備中に帰ってしまった。その他の逸話多し。
2013-11-15 09:32 | カテゴリ:未分類
 早朝は晴れていたが、もう8時ごろには時雨が来る。昨日の予報では、今年は寒くなりそうな気配(きょうの予報は山間で雪とか、そうであればかなり早い)。
 部長会議。政策議論(総政、農林、観光営業)。
 福井市長来庁。


 水野南北、1839(天保5)年のきょう78歳を以て没。はじめ鍛冶屋をしていたが若年の頃は道楽者で、人々から爪はじきにされる。中年から相法(人相などを見て、吉凶・運命などを判断)を研究し相術を以て立つ。「それ人は食を本とす」、「人の良薬は食なり」といい、人相するにまずその人の食量を聞いた。南北自身は一日の常食を麦一合五勺と定めていたという。著書「南北相法」には「散財の相なき者は大なる発達なく、必ず貧相なり」とある。
2013-11-15 09:34 | カテゴリ:未分類
 朝は雨が降っていない。敦賀に入ると、明るいながら霧のような雨。台風30号、比レイテ島で一万人の死者か(朝刊)。昨日は勝山スキージャムで初雪(4.9℃、平年より1.1℃低い)。
 敦賀港のコンテナフレート・ステーションが完成し竣工式に出席(鞠山南地区)。半屋内であるため寒し。式典の席から正面にやや紅葉しはじめた金ヶ崎、また火力発電所の白い煙がよく見える。テープカットを行い、50m平方ほどの広さの屋内ヤードでフォークリフトによる台湾からの原糸の荷下しをみる。
 敦賀市内は土地が福井市並に高いようであり、福祉施設などもつくりにくいようだ。
 新春番組についての話早やあり、おそくこいこい。
 あわら温泉の「わくわくキャラバン隊」が宣伝に来訪。女将、芸妓の諸妹も。
 瀧野氏来庁。
 3時すぎのANA便で上京する。
 房総に半月高き冬の夕。LNG基地に船が停泊している。さらに北側には石炭発電所らしきものから白い煙。
 総合資源エネルギー調査会(基本政策分科会)に出る。ガス、電力、石油、LPG、太陽光発電の供給事業者から聞き取りを行う。八木電事連会長に質問する。他委員はすべての関係者に質問。よって9時までの長時間になる。


 中浜万次郎、1898(明治31)年のきょう72歳を以て没。ただ漂流譚の主人公としてのみ伝うべき人にあらず。年少にして思わぬ不幸に遭遇しながら、めいらず挫せず、随処に主となって、環境を支配し、事故を生かした態度は見上げたものであった。ペリー来朝の年に旗本に取り立てられ、咸臨丸の米国派遣には通訳官となって便乗し、桑港に到った。石井研堂の著には、万次郎のおかしい嗜好を書いており、「常住坐臥、暇さえあれば砂糖を嘗め、三度の食事も砂糖をかけて食べた」とある。
2013-11-15 09:35 | カテゴリ:未分類
 天気はよいが風がすこぶる寒い。
 「すこしづつ人のかたちに毛糸編む」齋藤朝比古(読売「四季」から本日)
 全くの快晴である。東京事務所で秋叙勲の西川、嶋﨑、宮本、佐々木夫婦と午前と午後それぞれ雑談。
 北陸新幹線同盟会の合同中央要請、四県知事、五県議長、北経連会長、副会長と。公明党の井上幹事長・漆原国対委員長、自民党の森山総務会長代理、町村与党プロジェクトチーム座長、山本財務政務官、浜田幹事長代理、高木・野上両国交副大臣、関口総務副大臣に行う。
 ホテルの内庭で七五三の記念撮影をする紅の和服の子あり。
 White suits girl best. Girl looks best in black.


 出雲の尼子経久、1541(天文10)年のきょう84歳の高齢を以て没。若年からつぶさに辛酸を嘗め、艱苦の間に人となっただけ仁心篤く、よく領内の民を憐れみ、ことに軍兵には手負には疵を吸い医療を与え、討死すればその子孫を撫育し、禄を増し、追善供養まで心をつける。生れついて恬淡で、寡慾で、よく施して吝まない。人が褒めれば喜んで「さほど愛でらるるからには、そなたに参らせん」と即座に与えてしまう。後には家来の方で気をつけて、経久の前ではあまり物など褒めないようにしたという。
2013-11-18 10:35 | カテゴリ:未分類
 好天、橋上からみると朝霧が日野川の周辺に列状に残っている。フィリピンの被災した島で略奪横行の朝刊、死者2500人程度(朝日)、一万人という見方もある。
 政策議論(環境、教育、再び全体戦略など)。
 自治体病院全国大会について。
 石川県知事との懇談会を行う(県立図書館)。新幹線敦賀までの早期工夫(数年前倒し)、金沢駅観光案内所の活用、小松駅での恐竜展示、里山里海湖プロジェクトの共同実行などを合意。白川文字学の室(へや)、五箇条の御誓文草稿(文書館)など知事視察。
 予算編成方針について。
 政策議論に九時をすぎる。
 「御厨貴の政界人物評論」第8回谷内正太郎、ブレない「外交の職人」。権力の源泉はアクセス、(人から求められて生きる人生)(2013.11.14毎日新聞)
2013-11-22 09:54 | カテゴリ:未分類
 朝から空の暗い雨である。朝刊各紙によれば、これまでのご葬儀の方法を改め火葬とする考えが示される。
 朝十時ごろには明るくなり、建物を出ると雨が上がっている。時雨来てまた一年の浮世かな(県病)。
 授業料徴収条例について。
 保松第10師団長(陸上自衛隊)が着任あいさつに来庁。防災協力で気持通ず。
 カルマ・ウラ所長夫妻(王立ブータン研究所)来訪、懇談。夫人は日本で土木の勉強をされた。同国内での小さな家内企業的なもの期待、土木事業の雇用はブータンの若者や中高年ではなく、インド人が入っているらしい。
 農業農村、食育計画について。拠点化計画の資料、新幹線の意見交換会、中央公園について。
 商工会代表(笠島、寺井、中島、佐飛氏)との意見交換を行う。新幹線、開業促進支援、マル経資金継続など。
 「地域づくり全国研修交流会」の前夜祭、同団体全国協議会の岡崎会長、活性化センターの高橋理事長、椎川氏、満田氏と面談(グランディア芳泉)、雲浜獅子(小浜)、左義長ばやし(勝山)が披露。メニューが豊富。
 八時ごろの帰り路は、十一月の深い夜霧となる。刺客去るとき夜霧こくなる。


 坂本龍馬、1867(慶応3)年のきょう33歳を以て、京都河原町の旅寓に於て刺客の兇刃に斃れる。身長五尺八寸、色極めて黒く、近眼であったが風采は頗る立派。平素は温順で、老人や子供にもやさしかったという。「世に活物たるもの皆衆生なれば何れを上下とも定め難し。今世の活物にてはたゞわれを以て最上とすべし」(軍中龍馬奔走録より)など名言多い。龍馬の歌「世の中の人は何ともいはゞいへわがなすことはわれのみぞ知る」、龍馬その人の面目がむき出しで面白い(と森銑三はいう)。
2013-11-22 10:21 | カテゴリ:未分類
 深い冬霧、ようやく九時半ごろに日が射しはじめ、物を干す時間と合う。
 「ふくい味の祭典」のオープニング、田波(JA)、高橋(JF)、塩田会長(そば)来賓。農林水産活動の表彰もあり。出店は去年よりかなり充実。天気もよく、売る人たちも明るい表情。今年は「あつあつのカニ鍋」あり(高橋会長)。鯖鮨を29.1m、みんなで作るイベントをしている。全員がマスクをして鮨づくり。
 墨画展をみる。農林水産高校フェアも激励(アオッサ)。
 小春なので昼の庭に、数匹の赤とんぼが出現。トンボが夏椿の日の当った幹に止まる。畑(葱畑に籾殻を加える)には蝶が出ている。
 県スポーツ少年団の創立50周年記念式典に祝辞(国際交流会館)。表彰あり。子供と役員の世代ギャップをうめる必要がある。宇津木元監督が講師だが、まだ会場に到着されていなかった。
 高校の同窓会総会に出席(宮崎コミュニティセンター)。今日は天気よく、五時に会場を出るとまだ明るさが残っており、東の里山の上に、冬の黄色の丸い月が見事に昇り、車に従ってくる。蟬丸の墓ある村に冬の月
 「翡翠の首飾り」(小林さん)を読む。
2013-11-22 10:23 | カテゴリ:未分類
 本日も昨日につづいて、快晴の小春日和である。予報では後半は雨とのことであったが遅れる。隣県の知事選は対立候補なくなる(朝刊)。
 実践倫理宏正会福井地区の65周年大会に出席する(フェニックス)。日本人の資質、我も人ものしあわせ・・・。笹岡議長の就任祝賀会(農協芦原支店)。
 帰って勉強をする。窓外のモミジは紅葉の最中である。
 暗くなる頃に小雨が来る、しかしその後は止む。
 十人の一人が気付き枇杷の花(高田風人子)「桃栗三年柿8年、枇杷は九年でなりかかる」。(以上、「樹をうたう」石田郷子2013.11.10(日)毎日新聞)


 中岡慎太郎、坂本龍馬とともに数創を受けて斃れ、中一日おき、1867(慶応3)年のきょうに至って絶命。歳三十、龍馬より若きこと三歳であった。歳こそ行かないが、確かな人物だった。龍馬は奇、こちらは正、相並んで土佐の二傑とされた。薩長を結びつけただけでなく、岩倉具視の懐に飛び込み三条を結びつけ、更に岩倉を薩長に結びつける。中岡と性格が相似し相傾倒した板垣伯は後、彼を追懐し「中岡がもしあるならば、参議として朝に立って、木戸、大久保と騁馳ていちして遜色のなかった人だ」といっている。坂本、中岡二人の像は京・円山公園にあり、桜の季節に眺めるべきものである。
2013-11-25 10:02 | カテゴリ:未分類
 JAの正面の側壁面に大根が干してある。けさは時雨である。やがて雨上り、雲の多い一部が青空の天気である。
 峠岡労働委員に辞令交付。
 部長会議。
 桜田文部科学副大臣、田中事務局長が「もんじゅ」の本日の改革本部設置について説明に来県。ミッションを明確に、毎年の工程管理と評価など。
 福祉関係事業の功労者の表彰、また衛生・医療・保健関係功労者の表彰をそれぞれ行う。同じ部でも表彰司会の方法がかなりちがう。
 東京は快晴でありうすべに色の夕焼け空である(4時すぎ)、しかし風が強く、東京湾は着陸機から見下すと白波が立っている。エプロンの枯草も波打っている。
 tear off to openの紙に読んでいる鄧伝記のメモをする。I will be for youと聞える(ラジオの歌)。
 6時ころ東京事務所の窓に、よい満月がかかる。冬月の美しい色に巷の色はおとる。
 総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会。各省のエネルギー政策の説明、自然再生エネルギー、資源購入のバーゲニング・パワー。
 福島4号機の燃料取出し始まる、来年の末まで。
2013-11-25 10:03 | カテゴリ:未分類
 快晴、秩父盆地の上空をすぎて、うすい雲が流れはじめる。松本平野は見下せるが、西の中央アルプスからの白い雲がたくさんかかる。富山平野は少し見えるだけでもう雲ばかりとなり、機は揺れだす。そのあと雲のすき間がややあって、もうそこは海上である。海岸から陸にかけては低い雲がおおう。着陸のとき梯川の真上でようやく視野が広ける。小松の地上は荒れている。車で高速道を県内に入ると、雲の間から日が射す。ゆき雲に揺らされ鄧の伝記よむ。
 福井大学長と教員研修について意見交換(川田会頭同席)。
 里にまで紅葉が来た。敦賀でのエネルギー研究開発拠点化推進会議に出席。ホールで、レーザーによる壁面除染の原理の解説をうけ、また通気性のあるウエットスーツの説明あり。会議中、農工連携のミディトマト出る。まとめとして、次の新段階の長期のプロジェクトの準備の要をいう。議長かぜ。
 エネ研の窓からは、日の当った敦賀湾内と東方に丘陵がきれいにみえる。舞若道の整備が進み、ゴルフ場の隣山地区のトンネル付近だけ仕事が残る。また帰り道に気づいたが、笙の川高架が遂に見かけ上はつながってしまった。高速道と自然景観の関係はこのあたりが限度か。
 一便前の機が落雷をうけ、出発が一時間おくれている。当方の便は予定通り。冬の月丸く機窓にぽっと出る。
2013-11-25 10:10 | カテゴリ:未分類
 はれ。
 早朝、北陸新幹線に係る国会議員との意見交換(議員会館で)。県議諸氏から県国会議員に向け前倒しの強い意見。
 放射性廃棄物ワーキンググループの会議に出る。スウェーデンSKB社のマグナス社長から、同国の地中貯蔵方式のプレゼンテーション。これからのまとめに関し、中間貯蔵の解決が最終処分の前提であることを記すよう求め了承。
 北陸新幹線に係る要請活動を行い、国土交通省の瀧口鉄道局長、増田事務次官、高木毅副大臣に対し。鉄道局はやや消極。
 都美術館ではターナー展をしている。東京藝術大学で手塚雄二特別館長と面談。大学院の先生と学生たちが、菱田春草の卒業制作の作品などを直接鑑賞し、勉強中の様子を見学(地下の演習室)。芸大のキャンパスに、大きな天心先生の坐像あり、また奥の細道の街道の一部が残っている。上野の森は、人あり、大木あり、鳥あり、落葉あり、初冬の光あり。
 九頭竜会(山本会長)の総会に出る。一日あれこれ重なってつかれる。


 堀杏庵きょうあん、1643(寛永19)年のきょう58歳を以て没。医を曲直瀬まなせ道三どうさんに学び、儒を藤原惺窩に学ぶ。敦厚篤学で同門の林羅山、松永尺五しゃくご那波なわ活所かっしょと共に四天王の称あり。三子は才鋒相競い角逐して先後を争うも、ひとり杏庵その間に退いて己れを守る。その内に毅然たる気骨をもちながら、衆して長者となす。謙譲な人柄で常に陶淵明の人となりを愛し、その像を壁に掛け、「これに対すれば、すなはち人をしてとみ塵慮じんりょを消せしむ」といった。
2013-11-25 10:13 | カテゴリ:未分類
 海底噴火により小笠原諸島の西ノ島付近、直径約200mの新しい小島が出現(朝刊)。
 朝、西空高く白い下弦の月が青空に浮んでおり、目前に木斛の剪定をする職人あり。
 自治体病院議員連盟(細田会長、谷、森副会長)の総会に要望。つづいて「地域医療再生フォーラム」を行う、細田会長、大沢室長、神田厚労省審議官あいさつ。永井良三先生(自治医大学長)、今明秀副院長(八戸市民病院)の講演。珠洲市長の司会による講師と総務、厚労、文科省課長とのシンポジウム。その間に、厚生労働省の原医政局長に対し、医師確保、陽子線治療の診療報酬化の要望(中島先生、中野町長)。フォーラム終ってから、岡崎総務次官に邉見会長らと要望。またそののち別途に、全国粒子線治療促進協議会として鹿児島伊藤知事と木倉保険局長に報酬組入れを要望。
 小松は7℃。今日は福井でみぞれが降ったらしく田んぼも白くなったとのこと。一昨夜も降ったとのこと。


 長沼流兵法の祖、長沼澹斎たんさいが1690(元禄3)年のきょう56歳を以て没。少にして儒を学び、甲州流兵法を修める。世間の兵法なるもの、変詐へんさに失し賊術に甘んずるのを不可となして、和漢古来の兵略を究める。実際の経験を持つ古老がいることを聞いてはいて質し、ついに一家の説を立て「兵要録」を著す。その兵法は武弁の風なく、節制(秩序)を主とし仁義に基く。その言、正大にして傾聴すべきもの甚だ多く、啻に兵法書としてのみ見るべきでない(と森銑三記す)。
2013-11-25 10:14 | カテゴリ:未分類
 雨。
 奇術の天一関係の関連資料の寄託をして下さった河合勝氏(元愛知江南短大教授)が来訪。その他の奇術資料についても積極的な意見をのべられる。
 恐竜フィギュア製作の小西(株)モノ社長が工場立地について来訪。
 競技力向上について、米政策について、福鉄再建の五ヶ年計画の総括について。地方産業競争力協議会について。
 連合福井(山岸会長)から政策・制度要望をうける。原子力政策、雇用など。
 国の経済対策補正の対応について。
 帰宅がやや遅くなる。


 徳川慶喜、1913(大正2)年のきょう七十七の高齢を以て薨じた。紛糾した時局の中にあって、まだ三十一歳の青年であったが、一身一家の私情に捉えられず、透徹した智見を以て、よく時勢を洞察し、断乎として大政返上の挙に出でたその態度の立派さには、どれほどの賛辞を呈しても差し支あるまい。剛情公の渾名もあったほど公は強く、自ら信ずることの篤い性格の持ち主であった(と森銑三は評す)。越前の春嶽侯は、公の性格をふしぎなほど中川宮(九邇宮朝彦親王)と似寄りだったと評している。
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