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2014-02-03 09:50 | カテゴリ:未分類
 濃い朝霧である(8時30分ころ)。間もなく天気になるか。
 当初予算知事査定(健康福祉部、病院)。
 テクノポート新規立地協定(丹波からの山南合成化学)
 白塚支店長(日銀金沢)と意見交換。全体として見通しに沿った景況展開、内需は上振れ。北陸は緩やかに回復。
 夕方は、日が伸びてきたのか春先のような明るい空である。
 provide、hold、followを読む。


 博多の万行寺さんとして知られた真宗の高僧、七里しちり恒順ごうじゅん師が1900(明治33)年のきょう66歳を以て入寂。信仰の化身ともいうべき人だった。毎朝起きられると盥漱かんそうの後、白衣に着換えて仏前の勤行を終り、朝飯後すぐに所化を教えて正午に至り、午後はまた一時から五時まで、四方から来訪の道俗に法話をし、夜は夜で市内の引立や自坊の法話に忙しく、それが十年一日の如く、些の懈怠も見なかった。
 仏法非難の福沢諭吉と会見し、談論忽ち雲の如く起り、両々相持して下らなかったが、しかも諭吉氏は師の博学宏辞に舌を捲き、師もまた諭吉氏の理論に推服するところがあったという。
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2014-02-03 09:57 | カテゴリ:未分類
 ここ数日は堀の水位が少なかったが、今日はそれほどでもない。
 当初予算知事査定(総合政策部)。
 口名田小学校(5年生19人)と記念撮影。百人一首を比較的知っている。
 河田好美社長(アイシン・エィ・ダブリュ工業)来訪。
 教育委員との意見交換(子どもたちを励まし、助言して伸ばす教育)。
 自民党県政会からの要望をうける。
 松原裕次長(北陸整備局)新年あいさつに来訪。
 県織物工業組合の新年役員懇親会。もうすぐ節分豆まきだ。タイ・バンコク事務所について。
 夜は小雨が降っている。
 turnを読む。


 中島歌子、1903(明治36)年のきょう60歳にして逝く。旧派の歌人として知られているが、その前半生はむしろ女丈夫として伝うべき人であった。十四歳の時、水戸の勤王の士、林忠右衛門と約するが、幕末の多事であった折柄とて結婚式を挙げられず、殆んど同棲することもなくて、夫は国事に東奔西走し行方も解らなかった。ある日、砲声と共に傷ついた士が家に転び込む。誰かと見れば、その人こそ夢寐むびにも忘れぬ夫であった。すぐに天井裏にかばうと、追手の者は、歌子の平生通りの静かな物腰に、何の疑念もおこさず去った。それから看護を尽くしたけれど、ついにその効はなく死歿した。そして女史も水戸の反対党に投獄されるも少しも騒がず、獄中に歌の道にいそしみ、勤王党の手に救われる。明治以後、四五の宮様方を始め、多くの人々の歌の師匠であった。しかもその間に、自分の手一つで旅館を営業した。門下に樋口一葉。
2014-02-03 10:04 | カテゴリ:未分類
 朝は天気がよくなかったが、雨は一日降らなかった模様。午後はやや明るかったか。
 一日ほぼ当初予算知事査定。
 七時から「サクラサク」の試写会(福井シネマ)に出る。映画館で十年以上、映画をみていない。知らない間に映画館がせまくなっている。
 東京圏への転入超過が9万人である(朝刊)。


 碩学、西あまねが1897(明治30)年のきょう69歳を以て没。森鷗外の書いた編年体の立派な伝記がある。わかくして漢籍を修めたが、米艦が浦賀に入った年、二十五歳にして始めてオランダの文法を学んで洋学に志し、二十八歳にして英語を学び、発音法を中浜万次郎に受けた。三年のオランダ留学の後開成所の教授職となり召されて京都に至る(それから短期であるが、彼の伝記中最も光彩ある部分に入る)。将軍慶喜に近づいてフランス語を教えた。薩藩の小松帯刀が慶喜に大政奉還を説いた際、彼に国家三権の分別のこと、イギリスの議院の制度のことなどを問われて述べる。かくして慶喜の心事は定まったという。周の家に置かれたことのある鷗外の「ヰタ・セクスアリス」や「妄人妄語」に先生のことがでている。
2014-02-14 10:53 | カテゴリ:未分類
 前半は晴れ。2月に入ったばかりだが、足羽山の景色などは早春の気配である。
 後半くもってくる。
 bring、begin、like、write、start、run(金)、set、help、play、move、pay、hear、meet、include、believe、allow、lead、stand、live、happen、carry、talk、sit、appear、continue、let、produce、involve、require、suggest、consider(土)をよむ。


 徳川初期の名物男、大久保彦左衛門忠教ただのり、1639(寛永16)年のきょう80歳を以て没。十六歳で長篠鳶が巣の初陣から、千軍万馬の間を往来し、家康、秀忠、家光三代に仕え、傍若無人のさまざまの奇行を演ずる。死に臨んで、万石の大名に取り立てられるのを辞した。使者が「貴殿がお受けになっておけば、お跡の方が幸を得られましょう」といったのを、「もし子供が働きがありましたら自分で得ましょうぞ。私が伝えてやるには及びませぬ」と。とうとう受けなかったという。(その昔の時代劇の代表キャラクターであった)
2014-02-14 10:54 | カテゴリ:未分類
 天気。
 当初予算知事査定(健康福祉、総合政策)。
 奥井海生堂のこんぶ見学。
 書の千葉氏の文科大臣表彰記念祝賀会(プラザ萬象)。オペラの演奏あり。270人余りの多数。
 カナリヤの餌にたばねたるはこべかな(子規)。


 大阪の儒者、中井竹山ちくざんが1805(文化2)年のきょう75歳を以て没。弟の履軒りけん積徳せきとくと相並んで名高いが、十になってもまだ片手開いてこれだけと歳を答えたというように晩成もよほど念の入った晩成であったらしい。長じて五井蘭洲に学び、兄弟相共に砥礪しれい(努め励むこと)して講習し、ついに一家の宗学をなし、毫も固陋ころう渋滞の風がなく、卓然たる大家となった。士官を好まず諸侯からの聘を一切断り、ただ父の跡を承けて懐徳書院の学主となり、生徒を教えて楽しみとしたが、政治家的の手腕あり。相撲取ほど太って、四斗樽のような腰をしていた。だから、夏が大嫌いで冬を好み雪翁の別号さえあった。力士の谷風と枕引きをして、とうとう枕をクダいてしまったという逸話がある。男子四子に先立たれる。
2014-02-14 11:00 | カテゴリ:未分類
 雨。
 当初予算知事査定。農林水産、総務部、そして財源問題。
 上京する。高速道路上でひどく強雨となる。
 東京は寒くない。


 神山かみやま魚貫なつら、1882(明治15)年のきょう九十五までも長寿を保って亡くなった。幼時、百人一首をおぼえ、農夫で土を耕しつつ歌った下総の歌人。昼間は野良に出ては仕事をしながら歌を考える。時には夢中になって、隣の田を耕したり、馬の放たれたのもしらないで手綱だけ下げて歩いていたりした。歌にばかり凝っているので、村人から「飯岡の天智天皇」などと大変な渾名を負わされた。五十歳を超えた頃には立派な先生、九十を出てからも至って達者で、春先の暖かな日など、跣足で菊畑など耕した。絶えず手習いもし、「年取ってからでも上達するのは手跡ばかりだ」と常にいったという。こんにやくの故郷さむし冬の月(これは俳句の方)
2014-02-14 11:05 | カテゴリ:未分類
 昨日は暖かい天気(東京)16℃ほどはあったか。今日はやや寒く、暗く、くもりから小雨へ。
 8時から、北陸新幹線金沢・敦賀間の早期開業について国会議員との意見交換(国務大臣のみ欠席)。笹岡議長、山本会長、大森委員長、梅田副代表幹事。
 そののち北陸新幹線に係る中央要請。野田総務会長、葉梨財務政務官(茨城)、三原副幹事長。午後からは髙木副大臣、町村与党PT座長、翌々日2月6日は次のPT会議予定。高市政調会長、梶山衆国交委員会委員長。
 鉄道・運輸機構へゆき、石川理事長らに要請。帰路、五時前に雪がちらつきはじめる。横浜港湾部に食品や物産の名の付く倉庫多く、東扇島火力(東電)の太い煙突もあり湯気を上げている。
 小松は-3℃、粉雪がふぶく。予告あるも機はさしてゆれず。
 夜は南西の空に、高く平たく三日月が出ている。
 「政ハ人ヲ鞭撻シテ正道ニ導ク」、市川猿翁(政彦・歌舞伎俳優)の名付親、長谷川伸の言葉(私の履歴書から)。


 江戸昌平校の儒官、寛政の三助先生の一人尾藤びとう二洲じしゅう良佐りょうすけが1814(文化10)年のきょう69歳を以て没。伊予の片田舎の船乗の子であったが五歳で足疾を得、父の業を継ぐことが出来ず発憤し学に志した。出額のうえ巨口、風采は揚らなかったが、その音吐おんと爽喨そうりょうでよく談じた。他の二助、古賀精里せいり(弥助)、柴野栗山りつざん(彦輔)と親しかった。そのうち栗山と二洲とは相尋いで歿したが、後数年して精里も病んだ時、「わしが死んだらどうか二人の側へ埋めてくれ。それに、二洲の葬式は簡単でよかった。わしの葬式もあれに倣ってやってくれ」と遺言したという。世人は三人の交りの如何に美しかったのを知ったという。(学生寮のころ、同姓の伊予の友人あり、二洲のこと知る)。大石内蔵助、元禄十六(1703)年この日の朝死につく。
2014-02-14 11:15 | カテゴリ:未分類
 朝は雪が積っている。今冬はじめて朝の道が渋滞する。しかし、通勤中にもう空が明るくなって来る。
 市役所のところで信号待ちをする婦人が、電柱に懸る花壇の雪を手でふり払っている。城石が白く雪をかぶっており、風が夜中にあったのであろう。
 当初予算知事査定、大体一日。
 吉岡社長来訪。韓国の生地の追い上げ。
 夜、民間保育園連盟の懇談会、予算作業あり遅れて出席。


 長藩の維新志士、長井雅楽うたが1863(文久3)年のきょう男盛りの45歳にて切腹。持説の公武合体的な開国論を以て藩主毛利敬親たかちかを動かし、敬親の名に依って朝幕の間に周旋したる当時の大立物だった。彼の説は幕閣に喜ばれ、また朝廷にも嘉納された。しかし尊王攘夷の過激派の出現により、彼の周旋運動はその足元から壊されてしまった。越前の中根雪江が日記に記して、彼を「長防二州中智弁第一」と記している。
2014-02-14 11:17 | カテゴリ:未分類
 今朝も雪がすこし積っている。すぐ陽がさす。
 恐竜キャラクターの発表について。
 当初予算の再査定。
 柿本氏ともに来福さる。
 真夜中の空を見る、星あるもオリオンはいずこや。


 小堀遠州えんしゅう、1647(正保4)年のきょう69歳を以て没。武人であると同時に実務家、民政家であり、それ以上にまた芸術家であった。遠州流茶道の祖として知られている。茶事以外にも和歌狂歌をよくし、書画に巧みに、殊に作庭の技に於ては古今に冠絶すといわれた。彼が一代の心力を尽したと称される建築園苑に八条宮の桂御所がる。遠州が将軍からその経営を拝命するや、御催促なきこと、御助言なきこと、御費用御構いなきことの三事を予め誓った。芸術家としての彼の面目は、この誓言の中に躍如たるものがあるではないか(と森銑三は記す)。
2014-02-14 11:20 | カテゴリ:未分類
 晴れ、雲少なし。足羽川橋からわずかにみえる白山らしき頂はなめらかで丸っぽい。足羽河原は、やや早春賦の残雪景。
 当初予算査定。
 今日は第32回の「ふるさとの日」。県政功労者表彰式。
 ふるさと料理を楽しむ会(ユーアイ)。人が少な目なのか、部屋が広く感じる。
 ふるさとの日記念行事(アオッサ)、科学学術受賞者及び講演の進士教授との懇談。
 夜おそくなる。


 篤行の君子であった中根東里とうりが、1765(明和2)年のきょう72歳を以て相州浦賀に歿した。幼にして父を失い、母に仕えて至孝であった。母の勧めに依って土地の禅寺に入って僧となったが、博く群書を読むことを好み、江戸に出て荻生徂徠についた。孟子の浩然の気の章を読むに及んで慨然として還俗の志を抱いた。やがて徂徠の学を疑い、作るところの文章を火に投じて焼いてしまった。下野の天明村にて陽明学を以て立ち、専らその説を唱えて子弟を率いた。弟の娘(芳子)を引き取り可愛がる。芳子の経歴を叙し、それに訓戒を加え、もてあそびの書物を作って名づけて「新瓦しんが」といった。
2014-02-14 11:21 | カテゴリ:未分類
 朝、ボタン雪が降りしきる。
 ソチ冬季オリンピック開幕(朝刊)。大阪市長が辞職届。
 雪の城、石垣がほとんど真白、堀端で朝に写真とる姿あり。
 休日ながら最後の当初予算査定、夕方5時40分に作業終了。県庁の中庭に雪が静かに直下してゆく。
 島田家通夜。
 ラジオの朗読特集「海賊と呼ばれた男」(百田尚樹作)全25回を聴き終る。終戦直後の国岡商店(現、出光興産)社長、哲三を中心としたイランの原油買付や日章丸タンカー建造、英米石油メジャーとの競争を描いたもの。
 算法少女(遠藤寛子著)(ちくま学芸文庫)をコタツで2時間ほどで通読、18世紀後半の江戸女流和算の千葉章子を題材にした子供向け物語(1973年刊)。
2014-02-16 11:53 | カテゴリ:未分類
 雨がち、寒し。
 親戚弔問。理髪、ソチ五輪のスノーボードのテレビが鏡に写る。尻餅も背中もついて雪の坂。寒明けや櫛取り落す床屋かな。
 同級会、バレンタインチョコあり。
 都知事選、内心予測とおり半ざく。


 惟然いぜん坊、1711(宝永8)年のきょう没。春先に、庭の梅の花が小鳥の羽風にはらはら散るを見て、急に世を厭う心を起し、妻子も捨てて家を出、自分で薙髪ちはつして、芭蕉の門に入った。翁の歿後には親しむべき師も友もいないと、乞食のような汚いなりで古瓢を打ち鳴らし、翁の句を綴り合せた風羅念仏というものを謳って、足の向くところへ走り歩き、心のままの生涯を終った。あらゆる束縛から離れ、絶対的自由な境地に身をおくことによって自己を徹し抜いた。彼は一箇の勇者だった。くだらない周囲の事情のために、ともすれば自己というものを見失いがちの生活をしている私等は、惟然坊の生涯から、いろいろな尊い暗示を受けずにはいられない(と森銑三は記す)。
2014-02-16 11:57 | カテゴリ:未分類
 くもり。
 部長会議。
 当初予算査定、予算組立て。
 伝統的民家群保存・ふるさと百景活動団体の認定交付式。大野地区に難地名あり。三十分ほど出席者と円卓で茶話する。
 JC元理事長会。
 スピードスケート(500m男子)とどくか。


 小石元瑞げんずい、1849(嘉永2)年のきょう中風を病んで歿した。歳は六十六だった。少時、篠崎三島さんとう、皆川淇園きえんの諸老に漢籍を学び、十六の歳に父につれられて江戸に行き大槻玄沢に就き、かたわら杉田、宇田川諸家とも往来してオランダ医法を修めた。蘭法医として立ったのであったが、漢学のうんと出来た彼は、漢法にも通じて、卓然たる大家であった。刀圭の余暇には翰墨かんぼくを翫び、四方の名儒と交わった。頼山陽とは格別深い関係があった。山陽、細君を娶るとて元瑞の宅で見合いをすることとなった。ところが相手の娘さんが来ず、その時給仕に出た女中を一見して気に入り、元瑞に懇うて仮親に頼み、その女を貰い受けた。それが賢夫人として名のあった山陽の後添りえ女であったという。
2014-02-16 12:00 | カテゴリ:未分類
 一日、おおむね晴れ。
 美浜町の町制60周年記念式典(生涯学習センター)に出席する。耳村など四村合併。子供たちの太鼓演奏、男性・女性・子供の町民合唱団あり。
 蜜柑の季節が終り、次は秋十一月からか。
 change、offer、lose、add、expect、remember、remain、fall、speak、open、buy、stopをよむ。
 葬儀あり。


 神沢かんざわ杜口とこう、1795(寛政7)年のきょう86歳を以て没。近世の一大随筆でまた一大叢書たる「翁草おきなぐさ」の著者。養父の職をついで京都の町奉行となったが、蒲柳の質だがらというので二十年ばかりで致仕して、その後はもっぱら「翁草」の編述に従った。暇のある時には、どこで行き倒れてもいい覚悟で、迷子札をつけて旅に出たという。「翁草」は、明和中に百巻を脱稿し、やがてまた百巻出来たのを、天明の大火に新しい方の半を焼き、更に編述して合せて二百巻を完成した。この書は、ただに学者の研究資料たるのみではない。又趣味の一大宝庫である。この書は森鷗外に大分歴史小説の材料を供給した。
2014-02-16 12:02 | カテゴリ:未分類
 朝の光が明るい。
 当初予算の概要資料について。国体常任委について。
 県教組との「語る会」を行い懇談。調子と実行。
 男子スノーボードで銀、銅とか。
 夜、かなり丸くなった月が八時ごろ出ている。
 decide、win、understandをよむ。
 鷗外の「阿部一族」、「佐橋甚五郎」「興津弥五右衛門の遺書」を、ここ数日、ラジオ朗読で再聴。


 1889(明治22)年の紀元節、帝国憲法発布の日、参朝に際して文部大臣森有礼ありのりが、官邸に刺され、翌十二日、四十三歳を以て薨じた。薩摩藩が十名の留学生を英国に送った時、十九歳でその中に加えられていた。明治元年に業成って帰り、草創の際の新政府に入って尽すところが多く、漸次その才望と学識とを認められ、わが国最初の内閣に三十九歳にして文部大臣に任ぜられた。眼高く志急にあまりに時勢に無頓着であった彼は、ややもすれば世の誤解を招いた。真率あまりあって柔軟性を欠いた。絶えず各教育機関を巡視して、その地方中学生の歓迎にあえば、雨天にも腕車の幌をはずして莞爾として笑礼したという。
2014-02-18 09:38 | カテゴリ:未分類
 小雪ちらつく。庭の芝が見えるほどに、新雪がわずかに撒かれたようになっている。
 スノボHP(男子)、平野、平岡が銀、銅。複合ノーマルヒルで渡部が銀(朝刊)。
 防災計画について。九頭竜川下流の特色ある農業いまだ明らかならず。
 下宇坂小学校(4年生12名)との記念撮影。声がやや小さいが子供は耳がよいのだろう。
 伝統工芸の宣伝パンフなど。舞若道をどう呼ぶか。市境トンネル入口の案内装飾について。
 中小企業団体中央会懇談会。水戸はすでに観梅の季節になったろうか。


 京の医師、香川修庵しゅうあん、1755(宝暦5)年のきょう73歳を以て没。小さい内から頭のいいのを見込んで、養父が古医方の開祖後藤艮山こんざんに託した。師は一見して奇となし、更に自分の尊敬して措かぬ伊藤仁斎に紹介して経学をも修めしめた。講究多年、ついに一家の言を立て、「聖道も医術もその本は一つ」と、その居を名づけて一本堂といった。修庵の名は遠近に鳴り、業を受くる生徒四百人に余った。若い時往診に出て、あちこち駈廻るのに、途中で立小便をしなかった。門人が不審がって尋ねると、「家に帰ってからすれば百姓の肥になって耕作を利する。いかんぞ途中無用に便を捨てんや」と答えたという。
2014-02-18 09:39 | カテゴリ:未分類
 寒い、3℃、小雪が粉のようにちらつく。太平洋側の方が降雪(昼のTV)。一日、小雪が落ちる。
 中野シロウ氏(恐竜キャラクターデザイナー)来県。恐竜Juratic王国、ラプト君と姉妹王国の協定調印式。三谷幼稚園児も参加し一緒に大はしゃぎ。
 「元気な福井の水田農業」推進大会(県立大学)。終って学長としばらく意見交換。
 「ひな祭り」飾り付けを文京保育園と。人形飾は「孫いち」の提供。うた「joy!!」、「恋するフォーチュンクッキー」、「たのしいひなまつり」。保護者6名の方と懇談。
 生晃栄養薬品(株)の蔵野社長らが立地表明に来庁。若狭中核工業団地の隣地に拡張(30億円)。戦前に肝油を製造、魚が三つ重なった社章。
 動物愛護管理計画について。教育研究所のあり方について。すこしは、したではない。
 進士所長から恐竜博物館について電話あり。
 予算資料について。都市計画交付金は。
2014-02-21 10:29 | カテゴリ:未分類
 くもり。小雪、少時ちらつく。
 部長会議。
 組織体制について、県大予算について。提案理由。林業公社のあり方の考え。予算外議案決定。
 帰宅が7時ころになる。春になればよい便りか。
 しりもつもればやばくなる。
 develop、receive、returnを読む。


 岡崎・本多侯の家臣で画人の桜間青厓せいがいが1851(嘉永4)年のきょう66歳を以て没。人となり真率無私、銭がはいると酒にかえて飲んでしまう。赤貧洗うが如く、醤油樽と醤油樽の上に戸板を置いて絵を描いた。室中畳も敷いてなくて、客があると空俵の上に座らせて平気で話をした。渡辺崋山とよほど親しい仲であったらしい。ある時崋山の羽織を酒にかえて来て、二人で飲んでしまった。そのくせじき返すといって崋山が持って行った粉本が、なかなか返って来ないとなると、催促状を出した。それでも崋山は怒らずに交際を続け、常々「山水は私は青厓に及ばない」といった。事実青厓得意の山水に至っては、文晁以上、崋山以上のものがあるという。
2014-02-21 10:32 | カテゴリ:未分類
 うす晴れ、スキージャンプ男子団体が銅。
 県民経済計算について。廃炉・新電源対策について。
 英語教諭との意見交換。広い意味の常時のテキストづくりと研究。
 数学教諭との意見交換。解答の扱い、センター試験問題、数学史の研究、単元の数学的意味。
 おでんに天ぷらを入れて食べる。
 build、spend、describe、agree、increase、learn、reach、lieを読む。


 玄白の孫、杉田成卿せいけいが1859(安政6)年のきょう四十二の壮齢で没。蘭法医であったが、それよりも蘭学者としても知られている。小さい時からすばらしく頭のよかった人で、外人に接したことは一度もなかったというが、蘭学はよほどよく出来たらしく、紀行文が残っている。おどろくべきは、蘭学の力で直ちに独逸の書を読み独逸医書を訳していることである。依田よだ学海がっかいの「話園わえん」に、成卿を形容して、「身の丈甚だ高からず、繊弱なること婦人に似たり。されどもその眼光は炯然としてせまり、見るべからざる威容あり、容貌つねに不平を抱くが如し」とある(百科大辞典に肖像ありと)。酒を飲んで上機嫌の時は、口癖のように「フレーヘート」とどなってはひとりで喜んでいた。フレーヘートは独逸語のFreiheit即ち「自由」で、人知れずこうした新思想に触れていたという。
2014-02-26 09:13 | カテゴリ:未分類
 女子スノーボード竹内選手が初の銀メダル(朝刊)。
 パサコーン・チャイラット部長(タイ工業省産業振興局)が来庁、昨年末にバンコクで懇談、金沢での「お互いコンクレーブ(地域キーパーソン会議)in北陸」に出席される。
 査定担当者と小一時間意見交換。
 新井紀子教授(国立情報学研究所)と対談。人工知能の大学受験、人間の予見力、意味づけと数学。
 記者会見資料について。新幹線の工期短縮の見込について。
 農・林・漁業士の感謝状および新認定証の交付式、そして農業士等の家族、また今年から青年農業者をふくめて交流会。
 ・・・『倭名類聚鈔わみょうるいじゅしょう』(931-38)では、平安時代にヤマノイモの薄切りと米を煮た「薯蕷粥」が高尚な料理として流行した、と記されている。・・・(「民俗小事典食」2013年 吉川弘文館から「ヤマノイモ」136頁)


 わが国最初の新聞「中外新報」を発行した柳川春三しゅんぞうが1869(明治2)年のきょう39歳を以て没。三歳で尾張様の前で字を書いて、あまり何枚も強いられるものだから、しまいにだまって、「もういやになった」と大書きした。四歳で笠寺の額を書いた。十歳で伊藤圭介翁の「洋学篇」を参訂した。十一歳で「法華経」を評論し、十二歳で西洋砲術の書を著し、洋砲の必用を説いた。まるで一年に二三歳ずつ歳を取って行ったような人だ(今の小学校の劃一教育を受けなくて幸だったと、森銑三記す)。外国の本を訳すには、まず題簽だいせん(書籍の表紙に題名などを記してはる細長い紙片)を書き、自序凡例を書き、次の本文に移り、その終尾まで改竄かいざんせず改訂せず、そのまま彫らせてしまう。本が出来上って、一つの誤脱もなく、字の巧妙さ驚くべきものがあったという。
2014-02-28 10:11 | カテゴリ:未分類
 朝、小雪ちらつき、屋根にだけうすらに積り、そののち曇りの日となる。今日はあれもこれもと行事が積み重なる日である。
 越前市合併計画変更について。大野市長、バイオマスの採択について来訪。
 石川県の根上ねがみ工業(株)の新規立地協定に菅野社長ら来訪、東村市長とともに懇談。テクノポートへ液晶の表面保護剤など独自の技術で拡大。投資額約12億円、10人程度雇用。
 福井国体第7回常任委員会、正庁内はやや寒し。身障者スポーツ大会の種目と会場の決定、国体開会日の申込み、馬術競技場を御殿場に変更、その他宿泊、輸送計画、予算(補正、当初)など決定。
 社会保険労務士法の制定45周年記念式典に出席し祝辞(ユアーズ)。
 JA福井県中央会・福井県農政連からの要請、TPP、新たな米政策。
 杉本町長、森田議長、ダム予算関連事業について来訪。
 最近の原子力政策の動きについて。
 三国の越前がにについては、数日前(19日)、皇室に献上。シケのため、日程をいったん変更。
 明日からTPP交渉とのこと。
 ここ数日、夜空は星空であるが白雲の塊が多い。ためにオリオンはすでに去ったかわからない。
2014-02-28 10:16 | カテゴリ:未分類
 好い天気であり、本格的な早春の日ざしを自分勝手に感じる。
 提案理由を最終的に見る。
 洗濯物を外に干して夕方には乾くようになった。畑にゆき、生ごみを埋め大根を一本抜く。今年は雪少なく、大根、白菜がよく抜けたので、春の花菜は「不作」ということになるか。畑にゆくときの風はきわめて顔に冷たく当る。この一週間、石けんに当ったのか、顔にかるいかぶれ。
 庭の梅の木に、紅く莟ができていることを発見する。
 六時ころ、うすい灰色の雲とごく薄い紅色の空の西の山の端であり、早春的である。
・The LDP promised to strive for the establishment of social and economic structures independent of nuclear power.(The Japan Times(1) 2/11 KYODO
・~who felt the draft deviated from the party's campaign pledge ~(〃)
 He also refrained from setting deadlines ~(〃)


 京都の儒者、伊藤坦庵たんあんが1708(宝永5)年のきょう八十六の高齢を以て没。儒を江村えむら専斎せんさいに、医を曲直瀬まなせ玄理げんりに学んだ。儒を以て越前侯に仕えたが、図らざる讒言にあい、福井城の一室に監禁された。坦庵その中にあって優遊自得、書を読み、文を作り、詩を賦し、身の禁錮にあるを知らないもののようであった。三年の後に冤が明かになり、赦されて京に帰ったが、彼は門人に語って、三年間世事と没交渉に読書に親しむことの出来たのを喜んで、「これまた君恩の厚きのみ」といった。俳聖芭蕉は、その青年時代に坦庵について漢籍を学んだことがあったという。この二人の交渉の明瞭に解らぬのは遺憾である(と森銑三は記す)。気の狭い福井の藩風であったか。
2014-02-28 10:20 | カテゴリ:未分類
 晴れ、机上にあたる午後の日が反射してまぶしく感じるようになった。春である(冬の季語も妙だが)。
 「座ぶとん集会」を福井インターネット通販研究会の青年たちと(国際交流会館)。彼らのインターネットHPが、県の認証で顧客信頼力を高められないか、南青山はオフィスの信用として極めて有効の意見。ソバ、ミソ、釣道具立て、西欧家具、メッキ製品、ヨサコイ衣、映像スクリーンなど、会員は一年更新方式。
 福祉を考える女性の会(高畑会長)のおくれての新春のつどい(アオッサ)。4名による大正琴演奏は、昴、女船頭唄、はなはさく、の三曲。発達障害者の得意技(百人一首、恐竜学)、在宅老人の集会場所として古民家、託児サービスの県外者料金格差など。
 部屋に入るとその気配が窓でもわかるのか、鳩より小ぶりの山の鳥が素早く飛び立つ。6時15分前の時刻、橙色の夕焼けがでている、西空は快晴である。6時になっても空はまだ暮れず、又庭木の黒のシルエットが浮ぶ。


 韓天寿かんてんじゅ、1795(寛政7)年のきょう69歳を以て没。書を松下烏石うせき、沢田東江とうこうなどに学び、書家としても知られているが、それよりも古法帖の蒐蔵家として、またその摹刻もこく(書蹟を石や木に模写して彫りつけ、法帖を制作すること)を以て一層有名である。養子家が富裕であったところから、書を学ぶために佳帖であれば必ず買う態度で法帖を集めた。彼は進んで刻の名手を江戸、京都から松坂に呼んで、彼自らの董督とうとくの下にやらせた。しかも凝り性の綿密家の天寿には、人の刻したのでは満足が出来なくなり、ついに自分で刀を執って幾帖かを摹刻するに至った。それらはすべてで四十余種に上り、立派に行ったものは、宋明の善搨ぜんとう(すばらしい拓本)とも異なることなしとされたという(その他の逸話あり)。
2014-02-28 10:23 | カテゴリ:未分類
 明るい晴れ、まもなく木の芽時になるのだろうか、これに先だち顏肌がget a rash.
 部長会議を昼からに回す。
 記者会見、当初予算の説明を行う。
 人事昇格と女性登用について。
 「サクラサク」出演者、俳優の藤さん、緒方さん、南さん、田中監督が来訪。先般の試写会の話題に花が咲く。宣伝をということでありこれから宣伝を。南さんの緋色の上衣と、プレゼントしたラプト君の緑が色彩合う。皆さんのポスターサインをいただき、これを互いに持って記念写真。
 提案理由について。


 隠者で、蕉門の俳人として知らるる内藤丈草じょうそうが、1704(元禄17)年のきょう粟津の仏幻庵に43歳を以て入寂。尾張犬山の成瀬氏の家臣であったが、継母の生むところの弟に家を継がせたいために、わざと右の指を傷つけて仕を辞し、剃髪して禅に帰した。故山を出でて各地に放浪し、後洛の史邦ふみくにに伴われて芭蕉に見えた。芭蕉のずいぶん晩年の弟子となった。しかも芭蕉は彼を尊重して、「この僧この道に進み学ばゝ人の上に立たむこと月に越ゆべからず」といった。丈草は、師翁の風格を伝えた人だった。同門の野坡は、芭蕉の死後には東西の門人が丈草を慕ったといい、「この人さのみ差し出づるほどのこともこれなく候へども、翁の俳神を得られ候にや」といっている。
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