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2014-04-01 13:14 | カテゴリ:未分類
 夜明けのまだ十分明るくならない時刻に、鶯の声をきく、やや鳴き振りは中途半端ではあるか。そういえば昨夜は、足羽山の東麓でふくろうのような声を車中きいた。
 一日、雨模様である、雨読(「ローマ史論」読了)。きのうの畑仕事で再び花粉症。



   ばんすい
大槻磐水(玄沢)、1827(文政10)年のきょう71歳を以て没。仙台候の医員であったが、医者よりも蘭学者として知られている。玄沢の名は、その師、杉田玄白と前野良沢の名を一字ずつ採ったのである。その師の志を継ぐを以て終生の事業とし、玄白の命を受けて、その「解体新書」重訂の任に当り、原書を渉猟するころ十年、最初四巻だったのを増補して十四巻という大部のものとした。磐水一生の著書翻訳は、全てで七百余巻あるという。蘭学を弘め西洋を日本に紹介したことに於て彼は第一に挙げられるべき功労者であった(と銃三記す)。
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2014-04-02 10:47 | カテゴリ:未分類
 きのうとことなり好い天気。夕方、くもる。
 週末(先週金曜日)からプロ野球が紙面でにぎやか。
 丹高ホッケー部、選抜大会で44年ぶり同時優勝、横田高(島根)と。
 足羽のトンネル出たところの桜が咲きだす。
 今月の最後の先週でゆたんぽさらば、ストーブはまだまだ。梅はほとんど散る。
 退職者の表彰式など。
 番組TV収録、ブータン国民への英語メッセージ。
 退職教職員辞令交付式・表彰式にあいさつ。よき隣人たれ。
 アレックス君に英字紙についてきく。県庁ホールで白川文字学の教育実践の展示。
 午後、仕事を入れるところなし。帰路の午後には、県庁の堀の内側の桜が白く咲き出るのに気づく。辞令交付のときの朝の窓からは、まだそこまでには至っていなかった。半日の動き急なり。



 長野出身の儒家、塚田大峰たいほう、1832(天保3)年のきょう88歳の長寿を以て名古屋に没。異学の禁に上書もて楽翁公に真正面から食ってかかり、やがてまた「滑川なめりかわ談」一巻を著して寛政の治を批評した。磊楽で無邪気、眼中王侯も貴人もないその態度は実に痛快とすべきものがある。大峰はめずらしく病気をしない人であった。疱瘡しない人の股を子供が潜ると病んでも軽く済むとの迷信から、参勤の途次舞阪駅でたのまれて、里の夫婦老少が幼児を連れて来るのを一々股を潜らせてやった。あまりに大勢来て、「予殆ど労窮す、従者驚き且つ笑ふ」といった。
2014-04-05 14:53 | カテゴリ:未分類
 晴れ。今日午前のうちは万愚節、われわれ全員頭を白紙にして新しい仕事の仕方を考える時。県職員の新採用辞令交付106名(正庁)。部長・次長級の38名の辞令交付(6F)、課長級86名。
 里山里海湖研究所の職員(4名)新任あいさつ。アフリカで研究していた研究員もいる。新任課長5人あいさつ。三浦済生会支部長、今日からの新体制について来訪。信用保証協会の田端理事に委嘱状交付。
 新年度の幹部職員に対するあいさつ(正庁)を1時から行う。
 新年度はじめの部長会議、嶺南振興局長、東京・大阪事務所長参加。
 新採用の教職員212名の辞令交付式に祝辞(正庁)。
 堀の桜が、一日のうちにさらに開いて白くなって来た。
午後は快晴、日高し。先日移設した由利公正像の前に人一人在り(読み方が、きみまさ、であることが東京府決裁文書から先月判明)。丹巌洞の春嶽像の「望風」とは何の意ぞ。



 豊沢団平、1898(明治33)年のきょう72歳を以て没。名人団平として、その道の人々からは神のように崇められた三味線弾き。新作浄瑠璃の節付にかかると、完成するまでは決して膳に向かわず、一代傑作「壺坂(つぼさか)」の作曲は、こうした苦心の末になった。
 あるとき門附の夫婦が、一生の思い出に三味線を聴かしていただきたいと頼んだとき、団平は大喜びで座敷へ通し所望の一段を弾いてやり、その上馳走までして送り出したという。
彼曰く、「芸の奥義は深いもので、考えても考えても尽くることがない。いつも芸のことを考えているから少しも退屈せぬ。」
 非常な敬神家で、午前中半日は芸道の上達を祈り、一座の芸運を祈る。三味線に生き三味線に死んだと評される。
 前日が命日の能笛の家元、森田庄兵衛の「偉人暦」の逸談と好一対である。
2014-04-05 15:03 | カテゴリ:未分類
 朝食の時間に、一瞬ウグイスの声、おもわず談を中断する。
 けさは庭の梅がすべて散っており(数枚は残っている)、一方、垂れ桜の蕾みが赤く染まってきて、咲いているときよりも麗しい風情。沙羅の木も芽吹きを示す。
 湖西線車窓の眼前、今冬の特異な降雪のためか、比叡山の頂と谷に白雪が残っている。目上ぐれば近江の春の車窓かな。街並の谷にぶつかり山桜。
 梅田駅の北側に新しいビルができ、近畿大の養殖魚料理店やスイーツ店は長い行列をしている。金子眼鏡店あり。
 JR西日本の真鍋社長等に要請。新幹線開業による在来線ダイヤの利便(最早・最終便、特急便数)、敦賀までの早期開業について。今月で福知山線事故は9年になるとのこと。
 大阪は桜の満開であり、北陸とはことなり、筋や通のケヤキの街路樹が緑に芽吹き、いっしょになって美しい。
 「後継者の育成をしないときは、必ず行き詰まるという方程式」(青年抄)
 チリで地震、大きくはなさそうだが津波のおそれ(明朝)。



 土浦城主の土屋数直かずなお、1679(延宝7)年のきょう72歳を以て没。家光・家綱二代の将軍に仕えて老中となり、徳川初期の功臣の一人。
 家光上洛にあたり、親戚や家臣の諫めも聴かず、後から忍んで上京した。家光は、数直が必ず京に居るだろうと、家臣に居所を探させて用を申しつけた。咎めを恐れず、万一を慮って上京した数直も数直なら、必ず上るべき者と明察された君も君と、人皆称し合ったという。
 また、慶長金に銀を交ぜて鋳直し、その額を倍にしようとの議があったが、数直はこれを許さず。交ぜ物をして宝の位を下げ、悪貨を作ることにより、物の価は騰り、困ったことが起こるだろう、という先見の明もあった。
2014-04-08 11:26 | カテゴリ:未分類
 晴れ、あたたかい。
 「花子、高熱を発し、辞世をしたためる。」(朝テレビ小説、花子とアン)
 真柄朱里さんが全国高校ウエイトリフティングの優勝報告、山田純子監督、大原校長と。スナッチ(+)ジャークの合計重量152kg
 警察学校入校式。校庭に白い花木。今年は生徒が少な目。入校生の家族で若い女性が来ておりお母さんともいえず、お姉さんですかと問えば「私のかわいい弟のために出席した」という。超体格のよい警察官おり、自己体重145kg、柔道三段と答う。
 「こども歴史館」見学、蓄音機のコレクション、鉱物学の市川新松氏の業績(日本式双晶)など。子供のころ、佐々生集落の切土手に「金石」という立方体の輝石がとれたことを言う。
 白川君(福井高校)が、校長、監督さんと全国高校柔道選手権(90kg級)優勝報告。
 丸屋新所長(県大地域経済研究)が学長と来訪、新任あいさつ。
 県教組の中谷委員長が、新しい勝見書記長、小林・谷崎委員と新任あいさつ。
 文部科学省(もんじゅ)の加藤改革監、山之内所長、国井所長代理が来庁あいさつ。
 敦賀港2期工事について。県立体育館、中部縦貫道の国費予算の確保見込むの報告。
 道州制反対の要請について(賛成の動きが既にあるので)。
 夕方は、曇ってくる。



 美濃の土岐氏の族であった快川かいせん招喜じょうき、1582(天正10)年のきょう没。領主の昏愚なのを以て、去って甲斐に入った。信玄は恵林寺にこれを聘し、国師二百余の雲水を集め、大いに臨済の風を振ったという。
 天正十年、武田滅亡の年。織田信長・信忠が大挙して甲州に攻め入り、城塁を陥れる。府内の禅僧等はみな恵林寺に避けた。信長に敵対した佐々木義弼を寺にかくまい、織田信忠の引渡し要求に対し、一寺滅亡に及ぶとも決して出すべからずと拒否。心頭を滅却すれば火自ら涼し、の物語である。
2014-04-08 11:30 | カテゴリ:未分類
 夜来の雨は上っている。朝7時半ごろから8時一寸前まで、ウグイスが「断続的」に鳴く。文型はできるようになったが、イントネーションが未し。
 第1回敦賀市立看護大学入学式に祝辞。57人の学生(男性7人、県内22人)と家族、南窓外のキャンパスは桜花らんまん。
 12時直前の走行中、強い雨がとつぜん降り雷鳴もする。花に嵐のたとえもあるぞサヨナラだけが人生さ。県庁の橋のたもと、花びらが点々とアスファルト上。
 「世の中にたえて桜のなかりせば、春の心は、のどけからまし」(業平)
 道の駅「西山公園」落成記念式典(鯖江市桜町)。はじめテントで式典、そして雨の中テープカットと保育園児のバルーン上げを手早く、なかなかスタッフ応じず。あと茶を飲みながら牧野市長、富士屋さん等としばらく店舗営業の雑談。
 企業関係者に新年度事業や課題について講話。
 夜空の星は、雲が出ているが今日はきれいではっきり。
2014-04-08 11:35 | カテゴリ:未分類
 きょうは好天。梅枝に緑芽が出はじめる。
 午後から坂井高校の開校式に出る。壇上来賓として県会議長、坂井・あわら市長、小寺、山本、斉藤、西畑議員。
 帰路、足羽川の桜を対堤から近望。由利公正像の前に10人ほど見上げている。
 あすは又天気がよくないようなので、夕方に畑仕事をする。足羽山のまだ芽吹かぬ斜面に例年ながら緑黄色の樹木が色を付けている。一週前につづき、枯葉を一列埋める。余っているジャガイモ種をもう一条つくり、植えることとなる。仕事にはほどほどの気温。昔から知っている幸せな犬、腰が落ちはじめて老いたことを知る。
 fire to fire , ashes to ashes



 江戸時代後期の淡路海商、高田屋たかたや嘉兵衛かへい、1827(文政10)年のきょう59歳を以て没。北海の遺利に眼をつけ、手船を松前函館に廻漕して百万の富をなすばかりか、千島に航し土地の人に漁猟の道を開いた。
 露人が樺太や千島を侵して乱暴に及んだ際、嘉兵衛は捕まるものの、異船にあって神色自若、前後の事情を告げて日露両国の調停を計り、終に露をして樺太侵掠を謝罪せしめた。
 嘉兵衛は実に商家にして国士を兼ね、武人も及ばない毅然たる大丈夫であった。
2014-04-08 11:46 | カテゴリ:未分類
 第15回春の福井駅前マラソン大会(中日、日刊県民主催)の開会式。昨年は強雨予報で中止になったが、今年は寒く雨降りである。坐せば濡れるので、傘のまま立って短時間での出発式となる。西武デパートの店頭にオムスビや桜餅、お団子の売店がでている。店長談では3月売上が120%、4月の数日は80%台とか。理髪料金も丸い数字になる。
 公舎入口が5kmのコースで走行、進入できず勝手口から帰宅。寒気と雨で頭痛、眼痛。
 皮肉なことに、昼すぎから急に日がさす。と思ったら今度は1時半ごろ暗くなって、雹がななめに降ってきて窓を打つ。又陽がさし、そして曇ってくる。午後、勉強する。寒い。



 三河武士の裔、小栗上野介おぐりこうずけのすけ、1868(慶応4)年のきょう42歳を以て没。幕政多時の日に勘定奉行に挙げられ、苦しい財政に当って功多く、力を尽して陸軍を整頓し、或は製鉄所造船所を設け、或は国債を募りなどして、徳川氏の威権の維持に努めた。誠忠無二の徳川侍だった。彼嘗て幕閣を評して「どうにかなろうという考えが、ついには国家を亡ぼしてしまう」と慨嘆した。
 明治元年幕府が瓦解するや、彼は事のなすべからざるを見て、上州の采邑に退いたが、かねて彼に快くなかった者のために官軍に讒訴ざんそされ、烏川原に斬られた。
2014-04-09 11:17 | カテゴリ:未分類
 はれ。
 部長会議。
 県立大学入学式。桜、レンギョウ、雪柳、モクレンなど一斉に咲いている。
 新採用職員への研修講話(自治研修所)。
 原子力発電の立地市町の現状を聞く。
 室歓送迎会。



 新潟の人、書を以て一世に鳴った巻菱湖りょうこ、1843(天保14)年のきょう67歳を以て没。十九の歳に江戸に出て亀田鵬斎ぼうさいに学び、後江戸に門を開いて教授。従い学ぶもの頗る多く、前後を通じて一万余人を数えた。そして遠近から来て彼の書を乞うもの踵を接した。
2014-04-10 10:11 | カテゴリ:未分類
 曇り。
 幕末、坂本龍馬が暗殺される直前に、三岡八郎(由利公正)を新政府の財政担当者に推薦している直筆書状が発見される(福井新聞朝刊)。
 主要課題ヒアリング(第1回)、田原町老人会の県庁見学。
 若狭町・小浜市の地元経済、雇用について。
 加藤福井労働局長新任あいさつ、但見たじみ支局長(読売新聞)新任あいさつ。
 進士所長と懇談。先生の誕生日だそうだ。
 夜桜を背に由利公正たたずむ、人並はほとんど見えず。
夜9時ごろは中天に半月、その右下に明るい一星あり。



 並河天民なみかわてんみん、1718(享保3)年のきょう兄に先だって40歳にして没。伊藤仁斎に学び、仁義性情の説に嫌疑を抱き、刻苦研鑽、孔孟の正旨を自得せんとし、ついに一家の見を立てたが、仁斎の在世中、師恩を敬すること浅からず。仁斎は経済を賤しみ、天民は却ってこれを尊重した。
2014-04-14 10:41 | カテゴリ:未分類
 快晴。足羽川の桜満開。4月8日のきのうは灌仏会「花まつり」。
 エネルギー計画の政府案決定、安全安心ふくい充実プラン。
 海湖と歴史の若狭路発信について。農業・農村基本計画について。ゴボウ茶というものあり、ややにがし。
 県都デザイン推進会議の開会について。
 主要課題ヒアリング(後半)は健康福祉、観光営業部。
 丹生高(男子)選抜ホッケー優勝の報告。
 和田支局長(時事通信)新任あいさつ来訪。
 この数日、観桜の季節なり、遠まわり。灯消す垂れ桜を眺むとて。
2014-04-15 10:07 | カテゴリ:未分類
 朝は日が明るい。花子「エーゴってなんずら」
 JA女性組織協議会の通常総会に出席。出がけに県庁の橋を渡るとき、桜が絵のように散りはじめ、老若の上に舞い落ちている。手をかざしたり、カメラを向ける者ある。
 羽田空港に1時すぎ着(20分遅れ)、夏のような湾岸のパノラマ風景、気温25℃くらいに上昇。
 道州制に関する要請活動する。井戸知事、西嶋副知事(滋賀)とともに8県知事の連名。まず野田聖子総務会長に、今村道州制推進本部長のところでは、西村、磯崎の両議員、久世先生が同席、やや論争的になる。脇参議院幹事長、高市政調会長。ぶら下がり取材の横の部屋で党の道州制会合をしていることを知る(あとの報告では反対議員が多数)。石井政調会長(公明党)にも。
 中部縦貫道や都市公園予算の内示額確保のお礼。太田国交大臣、髙木副大臣、野上副大臣、増田次官、足立技監、佐々木審議官。
 同期会、数えたら古来稀なり。



 1857(安政4)年のきょう、安中城主の甘雨公板倉勝明、49歳を以て卒す。真正の読書子であった勝明は、諸侯の燕会だとか逢迎だとか、そんなことは一切断って、藩政を聴くの外は終日机に対っていた。やや倦めば酒を呼んで、且つ飲み且つ読んだ。
彼の勤学は死んだ学問ではなかった。その自得したところを録して林述斎の批評を乞うた『水雲問答』のことが、『甲子夜話』の中にある。「公職にある者が、とかく真剣の態度が執れないために実績が上がらない。それというのも、責任を回避することばかり先になるからだ。成るかならぬかを識見を以て断じたら、仕事の中に没入して行きたい。兵法の死地に入るの論は、治道にも応用されることと思う。中途半端に止まるのが一番悪い」といっているが如き、現代のお役所や学校にもそのまま適用されそうだ(と森銑三記す)。
2014-04-15 10:11 | カテゴリ:未分類
 天気、きのうほどではないが20℃に近いか。「エネルギー基本計画」がようやく閣議決定される。コメントを出す。
 「政策アドバイザー」委嘱のため、瀧野氏、野路会長、小林会長を訪問。それぞれ三十分ほどの時間懇談、はや有益な示唆いただく。
 谷内氏、西次官と意見交換。
 5時すぎ小松着、途中のアルプスの山頂にはまだ雪がのこっていた。
 大谷山興行寺、有名な垂れ桜(樹齢四百年)を見る。三つの大きな波がうねるように咲く。足利末期の応永13年(1406)、周覚上人(親鸞上人から六世)の開基の寺。当代21世。椿らしきめずらしい白花もあり。



 唐津・天草十二万石の太守寺沢広高てらざわひろたか、1633(寛永10)年のきょう71歳をもって卒した。秀吉に仕えてその武将となり、関ヶ原では大谷刑部と戦ってこれを破る。しかし広高はただ武功だけの人ではなかった。毎日寅の刻に起き、卯の刻になると家務を聴く。朝飯前に馬場へ出て一、二匹乗りこなす。飯後には刀槍を学んだ。
 食事は一汁一菜、家臣と一緒に食べる。国にある時は、年毎に領内を巡って民の疫苦を問う。広高は勿論奥方までも木綿の衣服だった。「下々に令するには、自分から先立ってするがいい。身を以て教えれば、口骨が折れなくて、下々はよく従う」と。
2014-04-17 09:35 | カテゴリ:未分類
 快天。木の芽すべて緑に吹きだす。しだれ桜が満開。「花子」15歳となり、主役交代。
 ドイツ製車両の出発式。見る人多く、日経の鉄道専門の記者氏も同乗。三姉妹や勝家少年たちと市役所前まで試乗する。
 越前時代行列のオープニングセレモニー。花が散る。花いかだの堀に小舟をこぐ県庁職員の二人。
 終って小浜へ。若狭の語り部とざぶとん集会(道の駅隣四季菜館)。
 小浜ライオンズクラブの50周年記念祝賀会に出る。
勧められ中座、六年の一度の伝統行事である国選択無形民俗文化財「和久里壬生狂言」を観る(西方寺境内)。無言の仮面劇であり、九つの演目のうち、京都ではすでに演じられないものも残る。着いてしばらくすると「焙烙割り」という演目が始まる。ヒノキの枝葉でふいた舞台小屋作りなど、区長さんが語るには、大変だったがやり甲斐ありと述べる。
 戻ると女性歌手が港町ブルースなど。
 夜のこたつで、行く末談義。



 学者であると同時に実務家であった三河の鷹見爽鳩たかみそうきゅう、1735(享保20)年のきょう46歳を以て没。幼にして学に志し、十六歳の時近侍となり、二十一歳にして江戸に出た。徂徠に就いて、そして好んで歌詩を作ったが、三十五歳にして擢んでられて大夫となってからは、詞藻を棄てて経済に志し、法律、刑名、政書、儀制の類まで思いを潜めて研鑽した。
 爽鳩、藩政を専らにするに及んで封内の財政を整理し、用を大いに足らしめた。「田原は小藩だけれど、まことに富饒だ」というに至ったのは彼の功。
2014-04-17 09:38 | カテゴリ:未分類
 うす曇り。
 昼から畑仕事をする。寒いかと思ったが耕すうちに暑く感じ、黒のブレイカーを脱ぐ。シャクシナの菜の花を抜いて、肥料をまき、瓜のための畝を二列ばかり早目に用意。またジャガイモ種をさらに一列つくってうめる。
 「自然」と「光」を書す。「ふるさとの日」の原稿を最終セット。



 実行家であった清川八郎、1863(文久3)年のきょう江戸一の橋に於て、幕士数名のために襲殺、歳僅に三十四。八郎は出羽の清川村の人、年少、江戸に出でて剣を学び、派手な型や形に捉われずに専ら心胆を練った。また、八郎は文を学び、言葉を修飾することをせず、直に心胆を吐露し、天成の革命児であった。
 彼は王政維新の首唱者とまで称せらるるに至ったが、王政維新は、もとより彼一人によって唱え出されたものではなく、その最も早く大義を唱えたものではない。議論を直に実際運動に移そうとしたところに彼の彼たる所以があった。
2014-04-17 09:41 | カテゴリ:未分類
 好天。
 部長会議。
 県都デザイン戦略推進会議(ホテルフジタ)
 柿下台長(福井地方気象台)が着任あいさつ。
 新年度政策合意の協議をはじめる。
 よい夕焼けである。河原に鯉幟が沢山揚げられ、小山に桜が咲き、向こうの東空にうすく満月が出ている。
 丹生地区の農業関係者と意見交換。



 俊爽の長州藩士、高杉晋作、1867(慶応3)年のきょう、維新の盛業を見るに及ばずして29歳を以て病没。
彼はどこまでも青年であった。彼の一生の事業は、青年の意気を以てなされた。それだけ彼は縦横無礙であり、天馬奔空的であった。
 先師松陰の遺骨を譲って上野の三枚橋を通るに、番人を大喝して中央の御成橋を馬で渡った。奇兵隊を組織し、幕府軍を撃破。
2014-04-20 08:34 | カテゴリ:未分類
 終日快晴。
 新任校長研修講話を三十分(教育研究所)。
 政策合意の協議ほぼ一日。
 「エネルギー基本計画」について、県議会との意見交換。窓に残花のある桜が見える。



 手腕ある為政者、達識に富める先覚者であった小原鉄心おはらてっしん、1872(明治5)年のきょう56歳を以て没。大垣藩の執政として、その藩政を刷新し、兵制を改革した。鉄心の鉄心たる所以は、その俗塵を脱した高潔なる心事であった。彼は政治家には希有な清い人格者であり、梅花を愛した。また、鉄心は名利に淡く、その官に献金し、納米に及ぶこと一再たらなかった。伝家の茶道具七十七点を売却して、領内の老人並に窮士を賑す費用に献じた。その美しい心は梅花に対して恥じないものがあった。
 若州小浜の人、佐久間勉、1910(明治43)年のきょう没。呉鎮守府所属の第六号潜水艇が広島湾新港沖で沈没し、艇長佐久間大尉以下卒十三名が職に殉じた。
2014-04-20 08:45 | カテゴリ:未分類
 はれ。
 政策合意1R
 次年度の職員採用について。特区(エネルギー)について。
 上京する。
 高齢者の行方不明(認知症など)の特集このところあり。
 韓国で船舶事故、かつての宇高連絡船紫雲丸のような惨事が発生。



 越前守に任じて北庄城にあった丹羽長秀、1585(天正13)年のきょう、51歳を以て没す。十五の歳から信長に仕え、向うところ破れるということなく、丹羽、柴田と並称されてその武勇の名天下に高かった。
 賤が嶽の役後、秀吉は、若狭近江に越前加賀の二郡を与えて以て長秀を百万石の大名たらしめた。長秀は日の出の秀吉と覇を争うには、力の足りないことをしっていた。そこに自ら知る者の淋しさがあった。快々として楽しまず、間もなく積聚という不治の病にかかり、腹搔き切り落命す。
2014-04-21 08:57 | カテゴリ:未分類
 はれ。JAL機内で2016年度からスマホ使用を可能に(日経)、1機1億円の投資。TPPで米・砂糖・麦は関税維持の方向(産経)。
青山通でタイ国で走るようなリヤカー式自動車を初見。
 昼はソバを食う。渋谷ヒカリエに全国地域マガジンの展示、入場有料。国立劇場前の看板に「ぢいさんばあさん」(鷗外作)の公演予定が出ている。クレア訪問。
 今後のエネルギー政策に関し、山本調査会長に面談。今回の「エネルギー基本計画」閣議決定をうけ、菅官房長官、下村文科相、茂木経産相に対し、腹をすえてのエネルギー政策実行を要請。立地の安全と国の将来のために。
 八時の最終便ANAで戻る、途中のフライトがなくなり不便になったか。さらば青春(小椋佳)



 わが国の医学史、更に文明史から、その名を逸することの出来ぬ蘭医杉田玄白が、1817(文化14)年のきょう疾を以てその家に没す、歳は八十五。
 玄白が前野良沢等と『解体新書』の翻訳に着手した明和八年、良沢四十九歳、玄白は三十九歳、玄白もすでに相当の歳であった。ことに玄白はまだアルファベットも知らない始末であったのだ。そして僅々六七百の蘭語を暗記していた良沢を先生に文字を覚え言葉を覚え、ついに初一念を貫徹して、四年間に蘭書翻訳の大業を完成した努力は、殆ど驚嘆に値するというべきだった。気の長い良沢だけでは事は進捗しなかった。一日も早く得たところを世に拡めようとあせった玄白があって、意外に速かに『解体新書』は上梓の運びになった。
2014-04-23 10:09 | カテゴリ:未分類
 朝霧、気温は15℃ほど、晩秋のごとき雰囲気だが、近くの足羽山は新緑に入る景なり。若茂町の坂道は花水木が咲き出す。昨夜は加越県境あたりでは夜霧であった(道路表示では風速0、気温12℃)。
 朝いちばんで番組収録(セブン、元気通信)。
 中国・三菱UFJ銀、パリ・クレア事務所に勤務の二職員が帰国報告。語学を督励す。
 あわら温泉「芦湯」のオープニング・セレモニー。お湯に足元をひたして頭で「考える韋湯」だ。周辺の修景が次の課題か。
 そのまま若狭に向う。霧が平地でも、またこの山岳部でもまだ晴れ上らぬめずらしい天候。敦賀トンネル内で150mほどの間隔ごとにクレーン車がたくさん並び、上部壁面に向い作業をしている。ラ・しじみで若狭路ご膳を食す、新わかめ、細い5cmほどの春魚(名を失念)等。フラダンス趣味の婦人たちも食しており、写真をとろうということになる。
 第2回の「海湖と歴史の若狭路発信事業」の実行委員会(若狭歴史文化館)。今夏からのキャンペーン対策。全首長が出席し計画をのべる。観光協会、商工会(議所)も。舞若線の開通早期決定の要請あり。
 美浜町の観光協会女性部と「座ぶとん集会」(なびあす)。立派な新しい図書館あり、「花子とアン」のコーナーあり、お腹の大きい職員たちと談ず。
 「サクラサク」ロケ地の瑞林寺を見学。奥さんがだっこする児が孫といわれて吃驚。うしろの高台から海と久々子湖が望められ、風やや寒し。ロケのあった橋の上で車と競って走る児あり、昔なつかしい景。



 平民画家の葛飾北斎、1849(嘉永2)年のきょう、九十歳を以て没。彼は八十六、七になっても至って頑健で、背もかがまず眼鏡なしに版下が描け、雨天に足駄ばきで両国から日本橋まで往き来していたほどだった。
 彼が病の床に就いた際、「今十年生きられたら、ほんとの絵師になるのだが」といい、少ししてまた、「いや、もう五年でいいのだが」といい直して瞑目した。仏のセザンヌがいまわの床に「わしはやっと出発点を見つけたのだ」と言った話と、東西その軌を一にするものがある。
2014-04-23 11:14 | カテゴリ:未分類
 快晴である(ただし西北の空にいくつか浮雲あり)。近くの山々が緑灰色に浮きでて新緑のはじまりの季節である。
山口選手が世界ジュニアバド選手権の女子シングルスを連覇(朝刊)。きのうの新聞では、北陸の景気判断を、前回の「緩やかに回復しつつある」から「緩やかに回復している」に引き上げたとあり。
 庭の垂れ桜が満開であり、風に大きく揺れている。もみじも夏椿も新緑である。萩は全体が赤味を帯びているが、まだである。鉄センは細いながら幹まで伸びている。
 坂井平野の麦畑の麦が穂をつけ始め、人の膝ほどの高さに伸びている。田には水が張られたところがあり、ハシボソカラスが散らかっている。
 県連合婦人会の定期総会に祝辞(ハートピア)。福井県民歌がはじめ歌われる。
 先回の完成式に出席できなかった小浜の「だるま窯」の上屋現場をみる。うしろの崩れかけた小屋には瓦や木の道具が散在する。川の向こうから鶯が鳴く。
 農産物加工女性起業グループ十名との「座ぶとん集会」をする。(宮川地区本保、「あばん亭」、「もちっ子 咲」、「氣ごころや(有)」、「スイート木の実」を合わせた4グループ)。元気に頑張る女性たちである。改修した農家の土手下は、もう水張田になっており、蛙の初鳴をきく。
 神宮寺の創建1300年記念奉納イベント、立花(前野博紀さん)、能(津村禮次郎)、バイオリン(古澤巌)、チェロ(大藤桂子)によるコラボ・パフォーマンス。市長、会頭らも。終って一言あいさつを求められる。春夜の堂前でありまだ寒い。6時から始まり7時すぎに早目に終演。
「一円玉の旅烏」。きのうと今日よく似た移動方向と距離になりやや疲れ。



 新陰流剣法の達人、柳生但馬守宗厳むねよしが1606(慶長11)年のきょう、八十歳を以て没した。宗厳は少年時代から武技を好んで、剣術を戸田一刀斎に学んだ。永禄の頃、新陰流を起した上泉伊勢守秀綱が大和柳生に来て、宗厳は秀綱に就く。寝食を忘れて練習し、ふたたび秀綱来た時ついに奥儀を授かる。
 ある男に、仇討ちに勝つ手を泣願され、「秘めて人には伝えないが、汝の志しを憐れんでつつまず語って聞かす。よいか、刀の切先で人を斬ろうとする者は破れる。刀の鍔元で殺そうとする者は勝つ。もし仇に遇ったなら、鍔元を以て相手の頭を撃ち砕け!解ったか?」といった。その翌日男は見事に敵の首を討ち取ったという。次子は但馬守宗矩むねのり
2014-04-23 11:17 | カテゴリ:未分類
 足羽山西面は山桜の白が姿を消しつつあり、新緑がさかんになりだした。畑には紅のチューリップが満開である。とうとう白菜を抜いて苗のための列を三本作り、すでに耕してあるところに肥料を入れて整える。昼からすぐに始めたので日が長い。予報に反して明るいうちは曇っており、夕飯のころ急に静かな雨音あり。
 今晩から窓に蛾が止まっている、虫が動きはじめたらしい。



 徳川第三代の将軍家光、1651(慶安4)年のきょう、四十八の壮齢を以て薨じた。堀田正盛、間部重次、内田正信の三人がその夜に殉死した。
家光は全くのお坊ちゃんたるところに彼の強味はあったのだ。父祖の業を堕さないばかりか、それを一層整頓し、幕府の基礎をかたくし、将軍の威光をして更に一段の重きを加えしめた。
 家康は煮え切らない。歯切れが悪い。秀忠はただおとなしい。家光は粒は小さくても光っている。ピリリとしている。お坊ちゃん育ちではあったが、それでいて相当下情にも通じていた(と森銑三記す)。
2014-04-23 11:28 | カテゴリ:未分類
 早暁、雨の音が聞こえたような気がする。朝は霧雨が残っており、車のガラスに点々として、前がくもるとワイパーが動く。
 16歳未満の高校生(鹿児島)が、女子ゴルフツアーに最年少で優勝(朝刊)。
 部長会議。
 農業・農村基本計画の最終版。
 アサヒビールから環境貢献活動支援事業への寄付金贈呈を受ける。7年間で1,800万円ほど、これまで名水地の環境整備に活用。
 逸品ファンドの指定について。自治会功労について。
 庭のしだれ桜がまだ保っている。このところの観察では枇杷の根付きがあやしい。
 一日やや暗く、雨気味。



 遠州掛川藩の文学松崎慊堂こうどう、1844(弘化元)年のきょう、七十四歳を以て没。慊堂は肥後国の農民の子であった。小さい時、真宗寺の小僧にさせられたが、坊主になるのがいやで十五の歳にはるばる江戸まで逃げて出て、苦学して昌平こうに入った。林述斎その才を認め家塾において勉学させた時、佐藤一斎もまたあって相共に砥礪し、業大いに進んだ。やがて掛川侯に聘せられて藩の教授となり、政務にも参与して翼賛するところ多かった。後致仕して、江戸の西羽沢村に閑居。慊堂、一斎と並んで一世の大儒を以て称せられた。横井小楠はその『遊学雑志』に、慊堂をあげて一斎を押えている。
2014-04-26 09:37 | カテゴリ:未分類
 うす晴れ。
 政策合意まとめ。
 雑賀北陸農政局長の就任あいさつ。
 選手強化策について、「夢や希望を育て未来を築く教室」について。児童科学館の展示等の改善について。
 重河社長(神鋼環境ソリューション)ほか、大野市への木質バイオマス事業の進出報告。禿新学長(仁愛大学)の就任あいさつ。
 糸桜が依然美しく庭に咲いている。



 竹洞の子、中林竹渓ちくけい、1867(慶応3)年のきょう、五十二歳を以て没した。竹渓もまた画家であった。父に学び、更に梅逸に学び、南画の蘊奥を極めた上、百家を渉猟して別に機軸を出し、父の子たるに恥じなかったが、その性格に於ては父とは違った意味で世と相容れず、不羈狽介で奇癖があった。古英雄を慕うのあまり、まるで隠遁した武人のようだった。外へ出る時は或は虚無僧に扮し、或は朱刀に鉄扇を手にし、笠を目深にかぶり武士の如く装うた。時にはえびらを着け、弓を袋にして従者に持たせ、戦国の世の人のような格好で旅行した。
2014-04-28 09:46 | カテゴリ:未分類
 晴天、花子「嵐を呼ぶ編入生」、蓮子女史。
 山崎防衛部長(海自舞鶴地方隊)来訪、昨年9月転任。
 政策アドバイザーの就任をねがった小林栄三会長と初めて対談、そして各部局長と意見交換を行う。すぐに実行できること多し。
新年度に入り、18号台風に係る災害対策連絡会議(副知事)。
 坂本坂井市長が再選あいさつ、さまざま抱負をのべられる。
 福井新聞に講演の大塚睦毅相談役(JR東日本)が来訪。
 小松空港での恐竜王国PR、野外恐竜博物館のバス仕様について。
 山口茜選手、世界ジュニアバドミントンの選手権の優勝報告。
 労働時間の規制緩和の方向(朝刊)、総体賃金が下がるのでは。
 I'm a believer (sung by Monkies)



 熊本細川侯の大夫であった堀平太左衛門へいたざえもん、1793(寛政5)年のきょう76歳を以て没。彼は陪臣でありながら、その名は将軍にまで知られた。
 霊感公重賢の知遇を受け、宝暦の改革には専らその衝に当って鋭意治を謀り、百難を排してついに改革の功を奏した。彼の補弼の功が、最も与かって力あったといわれるが、それでいて平太左衛門は少しも功に驕るところがなく、謹慎身を守り、藩政を掌理すること三代四十余年、常に国家士民の憂いを以て憂いとし、身を思うのいとまも持たなかった。
 肥後に学校の起された時、出精の者には賞なくばあらずと主張し、藩主と議論三日に及び、とうとう自説を通したという逸話が残っている。
2014-04-28 09:51 | カテゴリ:未分類
 きょうも好天、やや外気は寒い。
 記者会見を行う。二年目の「安全安心充実プラン」、政策合意、エネルギー特区を今日申請、橘曙覧の和歌発見など。
 昼のTVで、来日のオバマ大統領と安倍総理の共同記者会見が中継。
 北信越市議会議長会の総会にあいさつ。
 冠山峠道路のトンネル着工等について。
 垂れ桜がまだ咲いている。ちょうど夕陽が花枝を透かしてまぶしく沈もうとする。そのあとの夕焼け、空がはっきりうす紅色に染って美しい。



 鬼柴田こと柴田勝家、1583(天正11)年のきょう、五十四歳を以て自害。ことにも国色無双の称のあった夫人小谷の方、三十七をもってこれに殉ずるあって、勝家悲壮の死に更に一段の光彩を添える。
 彼は信長の宿将中、殊に剛勇を以て鳴った第一人者だった。そして二十六度の戦功を有することを大きなプライドとした彼が、信長の死後、秀吉と両立することの出来なかったのは、もとより自明の理であった。
 勝家は猛将であった。しかも北国に於ける織田氏の探題としての彼は、相当治国の才も備えた地方官だった。新道を開き橋を掛け、村々から徴集した鎧具足、太刀、薙刀の類の役立たぬを潰して農具に打ち直させ、以て農民に与えた。彼はただの猪武者ではなかったのだ。毎年4月24日の祭日<旧暦>は杜鵑が必ず来て啼くということだ(と銑三記す)。
2014-04-29 17:35 | カテゴリ:未分類
 日和つづきの今日この頃である。九十九橋の南、久保町あたりで家が2軒また取り除かれ、市内は駐車場増える一方である(朝)。菓子屋に「かしわ餅、ちまき」の看板あり。
 ふくい園芸大学校の内容と名称について。国体ダンス、国体改革などについて。
 鯖江市赤十字奉仕団見学との記念撮影。
 こどもの日行事、ゆりかご保育園の児童来たりて(県庁前広場のコイノボリ揚げ・県民ホールでの踊りと歌)。縄が鯉にからむ。「五月の節句」の歌、まさかりかついだきんたろう、ももからうまれたももたろう、ほうらぼくらもあのように、げんきにつよくそだちましょう
 教育委員との意見交換会、教科書と教材について。
 清水喜彦副会長(三井住友銀行)の来訪、ふるさとを大事にしない人は信用しない、と(やまなし)。
 田所次長(北陸地方整備局)、小倉部長(敦賀海上保安)の着任あいさつ。
 天気がつづくきれいな夕暮れに、コウモリが多数飛ぶのを初見、烏が高い電線に一羽だけ帰りそびれたように止っており、また鴨が五、六羽家の近くの田に降下する景あり。
 仮説をデータで前後に狭む/する・しない×成功する・しない
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