FC2ブログ
-------- --:-- | カテゴリ:スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2014-05-01 09:33 | カテゴリ:未分類
 年稿採取模型ブイの現場を見学。もう少し沖合がよい。
 「海浜自然センター」(若狭町食見)が15年目となる。舞若線開通(数日前、7月中開通と副大臣)を迎えるにあってのリニューアル開館式。周辺の近くの山は緑あふれ、山桜はわずかに残る姿あり。展示が充実してきて面白い。水槽に大ウナギをり。
 若狭の田園は水が張られ耕運機が動きだし、山野は樹々が柔らかく盛り上がりだす。
 「たがらす我袖倶楽部」(大戸代表)と座ぶとん集会(小学校跡の集落センター)、鯖なれずし、棚田の活動、沖の石の故事にちなむ百人一首。なれずし30年、作るたび味かわるものらしい(へしこから造り、鮒ずしと製法ちがう)。販売できる場所を欲しい。その間に11時ころ寺の鐘なる、数えると九度、堂守さんが鳴すそうだ。どこの寺からかときくと、曹洞宗の永源寺という寺らしい。
 須恵野のところで、里山里海湖研の2人の研究員らと懇談する。壁のムカデを退治する。昼の外気26℃、快晴。

スポンサーサイト
2014-05-01 09:34 | カテゴリ:未分類
 快晴、今日も昨日に次いで、昼近くになるにつれ暑さ感じる。
 「富岡製糸場と絹産業遺跡群」の世界文化遺産登録をイコモスが勧告、6月の世界遺産委員会で正式に決まる見通し(朝刊)。
 第66回煎抹各流大茶会に出る(足羽山)。福井新聞吉田社長、五十嵐氏と一緒に。階段途中で裏千家淡交会、上に行って皇風煎茶の席。各流派の席は待つ列長し。着席にやや混乱。
 4時ごろから畑へゆく。きのうきょうで夏野菜の苗植が終る。イチゴの白い花が盛りであり、カラスよけのヒモを張る。キヌサヤの柵を先週作ったが、昨年の竹が太いのでぐらぐらである。周りに細い竹枝を沢山挿す。葉の出たジャガイモを三本茎にして(今年は)、土を寄せる。ミツバが緑々と盛かりである。
 デヴィッド・ハーヴェイ「コスモポリタニズム」(作品社 2013年)ほぼ読む。小生の関心事に近づくのだが、残念なことにそこから離れてしまう。

2014-05-02 10:03 | カテゴリ:未分類
 くもり、下り坂か。
 部長会議。
 介護保険事業計画について。放射性廃棄物WG、原子力防災について。
 しあわせ福井スポーツ協会設立総会の第1回総会、広報取材。
 県外からの派遣教員との懇談(茨城2名、長野、奈良、熊本、高知、鳥取)。福井県は教科担任が1~3年を通年に教えるのが珍しい、良いことだ、という各県の見方。
 高所得層の雑誌インタビューについて、ふるさと納税について、観光新戦略ほか。
 県庁を出るとき小雨になっている。昨日の農作業からみて、恵みの雨ではある。



 肥前唐津藩の文学、余熊耳よゆうじこと大内忠太夫、1776(安永5)年のきょう、80歳を以て江戸に没す。奥羽三春の熊耳村の人、片田舎には生れたが、幼にして学を好み、年十七に至って四方の志しあり、笈を負うて江戸に出、岡崎藩の秋元淡園に就いて学び、淡園に依って、その師徂徠にも紹介された。やがて京に到って伊藤東涯に見え、それから大阪を経て九州を窮め、長崎に落ちついて、その地に業を講ずること十年に及んだ。やがて去って江戸に来り、浅草に教授する。名声大いに揚がり、就いて学ぶ者が多かった。徂徠派の人々が義士に冷淡であったが、熊耳が大石を義臣と称しているのは注目に値する。
2014-05-02 10:07 | カテゴリ:未分類
 くもり。昼前に畑に行き、急いで一時間ほどキュウリのネット張りをしている間に小雨が散らつく。数日前まで今日が休日だと思わず、出張前の準備がせわしない。
 昼ごろからFMで藤山一郎、二葉あき子などから始まる歌謡曲特集が流れる(「戦後歌謡」三昧、夜十時までつづくという)。子供のころ意味もよくわからず、聴いたり歌っていたりした音楽である。家人は歌を全く知らずという。
 明朝ある、放射性廃棄物ワーキンググループの会議のため、上京する。今日は昭和の日という名の休日に気づく。



 京都所司代として評判のよかった板倉勝重、1661(寛文元)年のきょう、83歳を以て卒す。
 金持の法を犯したものを捕えて獄に繋いだが、手蔓を求めて老中に訴え出た。これを知った勝重は、老中から書面が来た時開かずにおいてその者を斬った。そして老中の書を見ると果して赦免状、人をして老中にいわしめた。「京都の訴訟を一々江戸で極めて貰うなら、所司代はいりますまい。私は辞職致しましょう」と。老中一言もなかった。
2014-05-19 09:52 | カテゴリ:未分類
 雨である、「紅雨」―ひなちゃんの日常から。アカシアの雨には早いようだ。
 9時から11時すぎまで「放射性廃棄物ワーキンググループ」、今日で中間報告の決定、増田委員長に一任。中間貯蔵をプラント現場にそのままにし、あれこれ議論だけをやろうとする無意識的な風潮。
 291望洋楼は昼よく混んでいる。
 小松は新緑の雨上りである(4時すぎ)。県境で雨が落ち、県内に入りしばらくすると止む。
 荷物をつくる。
2014-05-19 09:58 | カテゴリ:未分類
 出勤中、とつぜん強雨、やがて止む。
 県信用保証協会の川島監事に委嘱状交付。春江町中部老人クラブ県庁見学。
 例月の雇用情勢について。
 国体とダンスについて。
 新幹線の短縮と財源の観測記事について、IAEAについて。
 鯖江高校の岩佐、荒屋敷両選手のアジアジュニア体操団体優勝の報告。
 第85回福井県中央メーデー、今年から夜七時の開催のナイターである。



 大阪に蘭学を唱導した功労者、橋本宗吉、1836(天保7)年のきょう、74歳を以て没。はじめ宗吉は、大阪北堀江に住んで、傘屋の職工を業とした。江戸に出たのは寛政の初年、もう三十近い歳だったらしい。中年から蘭学に志したのであったが、彼はいわゆる語学の天才であり、記憶力の至って強かった人で、わずか一年そこそこの間に数百言の蘭語を悉く暗記してしまった(当時は語数を多く知る者がその道の先輩とみられた)。
 帰阪後も自ら研鑽を積み、やがて医を以て立ち、かたわら蘭学を子弟に教授。四方から来って従学する者多く、蘭学は五畿七道から山陽、南海諸道まで行き亙った。これは一に宗吉の功績であった。

2014-05-19 10:10 | カテゴリ:未分類
 天気といえる天候。
 春の褒章叙勲伝達式。
 重点提案について。



 長堀の薬種屋五兵衛が娘お雪こと、やっこ小万こまん、1806(文化3)年のきょう、78歳を以て没。二八の娘の頃、髪の飾りをねらう巾着切り二人を、一瞬にして右と左へどうとばかり投げ飛ばしたことが評判となり、奴の小万と呼ばれるようになった。小さい時から男勝り、撃剣や柔術を学んだ彼女は、親の極めようとした婿養子なんぞ気に入らず、「一生夫は持ちませぬ」とだだをこね、禁中に仕え五年にして下り、頭を剃って綺麗な尼さんになってしまった(さまざま人の意表に出た女伊達のエピソードあり)。
 晩年彼女は自分で死期の近づいたことを知り、棺桶を買って来て門口に据え、人々を集めて酒盛した。街へ出て仆れたかと思ったら息は絶えていた。町の人々正慶尼と知って、手厚くこれを葬った。

2014-05-19 10:16 | カテゴリ:未分類
 快晴。ジャスミンは匂いがきつすぎ、小家には適さない。ガレーの電気スタンド。地下鉄もどんどん変り、駅前の商店街にある新型の古本屋は様変りしており、ほとんどが漫画ばかりで、まともな古本がない。「日本はなぜ貧しい人が多いのか」(原田泰著、新潮選書 2010年)の中に、「日本の地方にはなぜ豪邸街がないのか」という、わかったようなわからないような分析あり。


 武州忍の城主である阿部忠秋、1675(延宝3)年のきょう74歳を以て卒す。家光・家綱二代の将軍に仕え、政を補佐すること三十年、細川頼之以来の執権と称された。
 彼は早朝家を出て、路に棄児を見ると必ず拾わせて来ては養育させたという。そして数十人の拾い児、後には皆よい奉公人になり女子はそれぞれ縁付いた。棄児だけではない。忠秋は城中から下ると、家中の子供の三四歳から十四五歳までを、だんだんに呼び出して、気儘に遊ばせては眺めているのを慰みとした。彼はそうした愛の人だったのだ(と銑三記す)。
2014-05-19 10:19 | カテゴリ:未分類
 好天、まだ蚊は出ないが、そろそろか。明日から蘭・独・墺出張。


 幕府の儒官であった古賀精里せいり、1817(文化14)年のきょう、68歳を以て没。通称は弥助、彦輔の柴野栗山、良佐の尾藤二洲と共に寛政の三すけ先生と呼ばれた。
 精里は少しまじめ過ぎるほど、まじめな人であった。人の不善を見ては容赦なく責めた。しかし蔭では決して言わなかった。友を択ぶのに厳重で、口先の学問ばかりあって行いのない者を唾棄した。最もおべっか屋を悪んだ。無駄口を聞かず、妄に言笑しなかった。

2014-05-19 10:30 | カテゴリ:未分類
 後半から雨。
 越前丹生農協の集出荷貯蔵施設(2,000t、3万俵)の米ラック倉庫の竣工式。山田会長も出席。なんとなく頭の中がはんなりしている。周りの田園が小さく感じる。しかし、水田に動く機械を見て思う。日本の農業は、土地と水管理の完璧な、農機具を使った屋根のないグリーンハウスだと(オランダは屋根のあるそれである)。
 仏瑞国境に近い三ツ星レストランを経営のエマニュエル・ルノー夫妻が来庁。紹介をして下さった福井出身の大沢晴美さん(仏文化センター事務局長)も同行。ラッキョウをすてきなスモールオニオンと感じているようだ。また、つるし柿を甘いくんせい果物と理解し、料理に使えると言う。
 出張後の最初の部長会議。記者会見について、農業総合対策会議、魚の販売戦略について。
 エマニュエル、クリスチーヌ夫妻を囲む夕食会(sou-an)。福井の生活が非常にととのった印象であり、豊かな感じがするとルノー氏。敦賀がほこるコンブの良さについて理解。
 久しぶりにフトンの中、しかし、むし暑く感じる。



 陶工の青木木米もくべい、1833(天保4)年のきょう、67歳を以て没した。はじめ鋳工たろうとし、のち陶業に志し奥田穎川えいせんの門に入って出藍の誉あり、師と共に粟田焼に新機軸を出すに至った。文字の素養もあり、書画をよくし、山陽や竹田や小竹、棕隠などと交わった。尋常一様の職工風情ではなかったのだ。鴨川に臨んだ居には物置のような倉があって、その中に支那から南蛮方面までの良土が貯えてあった。
2014-05-19 10:49 | カテゴリ:未分類
 快晴。
 中高一貫教育の具体的なシステムについて。
 東安居長命会28名が県庁見学、ご婦人が多い。
 里山里海湖研究所の進士所長、アドバイザーの鷲谷、澁澤、養父、寺岡氏と懇談(国際交流会館)。コウノトリは一対のつがいだけでは、有精卵を生みにくいのではという生物学的な論あり。
 白塚日銀金沢支店長等との意見交換。消費税導入後の問題はないようだ。景気すべて回復傾向。
 民間保育園連盟の総会に出席する(ユアーズホテル)。来年度から始まる五ヶ年計画の検討などについて述べる。
 県インテリア事業協同組合の創立40周年記念式典(アオッサ)。三名の方に知事表彰もあり。
 IT産業における海賊コピー版に対するビジネス支援モデル(フレーミアム、タフ・ダイエットなど)、ラジオ番組から。



 京儒の泰斗皆川淇園きえん、1807(文化4)年のきょう、74歳を以て没した。経学家としてのみではなく、文人として、また書家として画家として、その多彩多芸は儒林中稀に見るところであった。
 淇園は早熟の人であったらしい。しかも天稟に加うるに、また類のない努力の人だった。学者に見る迂遠さはなくて、如才のないところがあり、晩年にはだいぶ毀誉の声もあったらしい。

2014-05-21 09:20 | カテゴリ:未分類
 看護の日記念大会に出る。看護協会会館の会場、配席を横に長く使っており、1つの趣好であると感じた。
 市内(成和)でバゲットパンなどを買って、車中食。
 国道417号の冠山峠道路の着工式典に出席(田代トンネル工事現場)。山々が目にしみるように緑々としている。
 髙木副大臣の式辞、小生、鯖江市長あいさつ。山崎議長、山本議員の祝辞、徳山局長(徳山村がルーツといわれる)が出席。皆でダム形の盛砂にくわ入れ式、そしておいしいモチ(おろし・きなこ)をいただく。杉本池田町長と揖斐川町長とが物産の交換、両町民が過去の交流と将来を述べる。冠峠をはさんで福井の海産物や打刃物、農具、徳山村の方からは段木(木材で薪として用いられたようだ)、薬草などが交易され、越前朝倉氏の影響や鯖江の誠照寺が岐阜側に布教した(お廻り巡業)ので門徒が多いとのことを知る。
 終ってから、町営ログハウスの喫茶で町長と意見交換、意欲十分なるをよろこぶ。
 戻って一休みして、柔道整復師会の懇談会に出る(福井パレスホテル)。砂子会長は叙勲拝謁で昨日東京から戻ったばかり。しばらくして、カラオケの柔やそのほかが出る。



 江戸の国学者、岸本由豆流ゆずる、1846(弘化3)年のきょう、58歳を以て逝いた。由豆流、弦にも作る。幕府の弓弦師である岸本家を嗣いだが、家業は早く総領に譲って若隠居となり、好きな学問著述の方面に身を入れた。そして彼は若い内から古書の考証を多く著した。
2014-05-22 11:39 | カテゴリ:未分類
 休養、来客、勉強やら。真昼は日ざしが強すぎるので、3時ごろから畑に行くことになる。甘薯の畝を一列作り、苗が20本ほど植えられる。今年の絹サヤは丈が低いが紫の花がよくつき(去年までは白色)、小さいのがこの一週間よくなっている。イチゴも昨年よりは株数が少ないが、採れはじめて一週間ほどになる。他の夏野菜はいづれもまだ高さが30cmほど、これからの雨や陽当りの様子次第である。


 盲目の儒者後藤松軒しょうけん、1717(享保2)年のきょう、86歳を以て没した。26の歳はじめて人の『大学』を読むを聞きて、大いに悦んで儒に帰した。そして人に漢籍を読ませては聴き、よい師があると聞けば出かけて行いて疑いを正し、ついに真儒を以て聞ゆるに至った。その間の困学は一方ならぬものがあった。徳川前期に於ける一偉材であった。
2014-05-22 11:42 | カテゴリ:未分類
 今日から夏の衣更え。幸い天気よく、温度は高い。朝方の息。
 部長会議。
 記者会見。帰国報告、「ふくい園芸カレッジ」の開校、国体開催に向けた競技力向上準備、クルーズ客船の敦賀港寄港について。
 本年度の提案要望について。
 コウノトリの産卵をほとんどあきらめていたところ、幸い卵を生んだニュースを得る。数刻前に福井新聞の人たちと、残念と語り合っていた矢先であった。
 来年開校の高志中の入試に高い関心の父兄が多いことを知る。
 人口問題について論じて七時ごろになってしまう。



 学の人であり実行の人であった曠世こうせいの偉人、新井白石が1725(享保10)年のきょう逝いた。享年69歳。
 江戸時代に一貧書生から起って従五位以下、筑後守となり将軍家宣の師となり、顧問となり、謀臣となって大政に参与。或は芙蓉殿上に朝鮮聘礼使を叱咤して国威に万斤の重きを加え、或は勘定奉行萩原重秀を死を以て弾劾し乱れた財政を改革した。彼の政治的生涯は甚だ短かったけれど、その間には実に光彩の陸離りくりたるものがあった。
2014-05-25 08:46 | カテゴリ:未分類
 くもり。下り坂に向っている空。
 新幹線と湿地について。新観光戦略プランのスタートについて。
 自治会連合会(村西会長)総会に出る。知事表彰あり。地元として大野市長が出席。飯降山をバックに新市庁舎が建設中である。里芋の生産拡大は本格的な組織と人材がいると市長。
 新幹線、LNG研究の方向性について、福井駅舎の大恐竜ラッピングについて。
 座ぶとん集会(まちづくりメンバー、大関公民館)。この地区は平野の真中、町中に地蔵や一本杉などがある。立派なミュージカル演劇を企画している。九頭竜川パイプラインの活用も重要か。
 数日来、窓に小さいヤモリを初見。以前に一度見たような気がするのは記憶ちがいか。



 水戸藩士の立原杏所たちはらきょうしょ、1840(天保11)年のきょう56歳を以て逝いた。人となり風流、書画篆刻に工があったが、しかも気節を尚び、然諾を重んじ、毅然たる大丈夫であった。治紀、斉修、斉昭三代に歴仕し、恩遇甚だ渥かった。斉修夫人に絵を描くことを所望されたが、当時先鋒隊長であった彼は画工視されるを喜ばず、反覆弁論して応じなかったなどのエピソード。
2014-05-25 08:53 | カテゴリ:未分類
 夜半から雨音あり、朝は小雨、いちにち雨、暗くなって止み、夜の空は澄んで低い白い雲あり。
 自治体病院開設者協議会について、台湾から経済界の来訪について、ものづくり学生奨学金について。
 海外出張後の課題整理。
 大飯原発の差止訴訟の判決が出る、ぶら下り取材。司法のラインで吟味されるべきか。きょう規制委員会が川内に次いで高浜の審査を行うと決めた。
 瀧野政策アドバイザーとの意見交換を行う。酒税と地方税化、出生率の目標化、外国人の誘客(今後の企業誘致の困難化)、交付税と人口基準。



 徳川将軍の侍医桂川甫周ほしゅう、1809(文化6)年のきょう、56歳を以て没した。代々幕府に仕えてその業を堕とさず、甫周に至って最も良匠と称せられた。
 前野、杉田諸先輩の『解体新書』翻訳の事業に参加した一人であり、玄白はその人となりの優れたところを伝えている。甫周は穏やかで高ぶった様子がなく、それで上品で、どんな人からも敬愛された。趣味の人で多岐多芸で、古器や古書画を愛玩し、無事の日には独り書斎の中に座して、香を焚き書を読む。時にには笛を吹き琴を奏で、超然として高士の風があった。
2014-05-26 09:53 | カテゴリ:未分類
 勝山南部中(1年生)20名が県庁見学。若狭町の歴史文化館で第36回の伝統的建造物群保存地区の全国協議会が開かれ祝辞。会長は萩市長の野村氏と霞ヶ関での仕事以来。知事が出る県はめずらしいと言う。連続6期の市長である。現在、重伝建の指定は108ヶ所という。福井は熊川、小浜西組の2地区だがもっと指定地区がありうる。長谷氏と会う。文科省の山下文化財部長、福井出身の村田参事官(建造物担当)、調査官の島田、黒田両氏。講演の西村先生(東京大学教授)と三十分ほど懇談(パレア若狭)。福井市のデザインについて、城跡と養浩館・足羽山のラインをはっきり作ってはと述べられる。
 27号敦賀方向へ4時ごろ、旭川ナンバーのトラックが数台走る。その他も遠路の車あり。菅湖あたりで工事中の舞若道上をトラックがゆっくり走っているのが見える。気山あたりのインターも姿を現れて完成が近い。
 若狭の景色は、新緑たけなわである。嶺南の山には照葉樹が混っており、やや黄緑色の木々が山の峯のところに目立つ。日を浴びて嶺北よりも暑っぽい感じがする。しかし田野の景色はまことに瑞々しい。
 そのまま上京する。高速での温度17℃、小松あたりは景色が夕方のせいかくすんだ色に変っており、白いアカシアが咲く。

2014-05-26 09:59 | カテゴリ:未分類
 天気である。都内で自転車がまた増えているような気がする。
 野上、髙木両国交副大臣に、舞若道の開通快走のお礼。増田次官、徳山道路局長、佐々木審議官。高速道路課長にも。
 敦賀港での新規事業化要望を大脇官房技術参事官、松原官房審議官に(局長不在)。
 「命と生活を守る新国土づくり研究会」の提言活動を岐阜古田知事らと太田国交大臣に行う。18号復旧、気象庁の特別警報の細分化、河川浚渫の技術改革。また新幹線の前倒しも要望。
 国立社会保障・人口問題研究所の所長就任の森田朗先生を訪問。金子副所長、宮田調査官、藤原朋子企画部長が同席。連携した調査を要請、逆に当方に対し講師の依頼も。
 東京事務所に出向している教員から、都内の教育事情をこの二ヶ月の見学をもとにきく。授業はまだ見ていないようだ。
 三越本店で「モンゴメリと花子の赤毛のアン展」をやっているというのでみる。東洋英和女学校では60センテンスからなる一日の生活を英文にしたものあり(sixty sentences)、参考になる。ドラマに出てくる出版社は、銀座の教文館がモデルであることを知る。会場のビデオに村岡女史の朗読場面が流れる。やや早口である、はじめに「ごきげんよう」といっている。三越のエレベーターなどに書いてある「・・・して下さいませ・・」という表示は一般的なものなのか。
 夕刻からの東京福井県人会の懇談会に出る。椿山荘(フジタ)の二年目(昨年欠席)。若い人がどんどん増えて盛会である。玄関に菅原氏おり、6月中旬に福井の地酒(16蔵元)とホタルの夕べを楽しむイベントを企画とのことである。
2014-05-26 10:06 | カテゴリ:未分類
 朝、帰福、晴れ。
 数日前(22日)に起きたタイ軍事クーデターのニュースこのごろ多し。
 昼から県PTA連合会年次総会に出る。生活学習館に向う途中、月見の小高い三叉路で白山が正面に。残雪の部分が半分以下になり青灰色地肌が目立つようになった。
 総会は知事表彰など多し。終ってから経営交代したレストランでコーヒーによる談。
 アオッサでバラ展(5F)を見学する。案内で香りのあるものとないものがあり、香りも種々。宝塚から審査の先生が来ている。
 3時から新幹線建設促進同盟会(福井商工会議所)に出る。会員で「力強く」少なくとも3年の短縮を確認する。
 夕方、畑へいき絹サヤとイチゴをとる。ややむし暑い。イモ苗も倒れたままだが、枯れてはいない。数日前、胡瓜が一株切られてしまった以外は大体順調である。
 昨晩は、TVでバークレー校「白熱教室」という番組あり。先週につづいてエネルギー問題のシリーズである。



 奥州の独眼龍伊達政宗、1636(寛永13)年のきょう、70歳を以て薨じた。箇人としての彼は、文字の素養があり、多芸多技で、めずらしく趣味の豊富な人だった。
 政宗、儒者には儒を問い、僧侶を召しては仏を問うた。「仁過ぐれば弱くなる、義過ぐれば固くなる、礼過ぐればてんとなる。智過ぐれば嘘をつく。信過ぐれば損をす」。――これを彼の壁書という。真偽は保証の限りではないが、道学者流のいい得ざるところを喝破したところに、彼らしい趣を見る(と銑三記す)。
2014-05-31 08:48 | カテゴリ:未分類
 社北地区体育祭に出る。快晴、暑くなりそうである。子供たちの国歌をうたう声が、例年になく高く大きい。ラジオ体操はややいまいち。県庁の長谷川君や竹内君に会う。各学年100人前後の児童数であり、1年から6年生に大差はない。
 茨城で同勤した職員から叙勲礼状来る。去年福井へ旅行してよかったとの添書きあり。
 宝慶寺会の人たちと県政報告、意見交換する(秋葉集会所)。下庄を良くする会と集会(公民館)。市北部で区域がかなり広く、コミュニティの活動歴が長い。「下庄」の里芋の味は。
 くさき染織会(髙橋先生の卒寿記念)をプラントピアに見る。時間が若干あり夕方になったが越前陶芸祭に向う。草月流と越前焼のコラボ、作陶家は六十店あまりの出店。お菓子やパン、草モチなどを販売。ジョージア州などから来福の大学研究者が窯業指導所のところで窯焼きをしており、黒い焼を上げている。今日はむし暑かった。いよいよ麦の秋である。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。