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2014-07-03 09:22 | カテゴリ:未分類
 晴れ。気温が31度近くになる。
 田波JA五連新会長が就任あいさつ来訪。互いに協力して行うこと重要。
 池田町の民生・児童委員諸氏が見学来庁。
 50周年記念の福井トヨタカローラ社から、国体用の車両2台(ナンバー2018、はぴりゅうくんラッピング)、田中社長出席して寄贈式(県庁正面)。日ざしが強く汗かく。撮影の注文多し。
 整備局長会議について。
 川分NTT福井支店長が転任あいさつ。三年間の生活、食、人の良さを述懐。
 藤島高校の見学と教員との意見交換。授業と家庭学習の相乗に注目を、授業の高密度化。ヘアピンが廊下に落ちている夏。
 家の窓から白いユリが咲いているのが見える。さらに見ると桃と橙色の二種も咲いている。外に出て香を調べたら桃のみ匂う。いったん枯れそうになった枇杷も日陰に移され毎日水を得て、淡緑の柔い若葉が三本の枝先から出はじめている。
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2014-07-03 09:30 | カテゴリ:未分類
 くもり。午前の後半は雨が落ちてくる。またくもりに戻り時々雨が落ちる。意外と暑くない。
 66年前の福井地震の日であり、昼前にサイレンが鳴る。
 午後、勉強スル。
 葉の一部が白色の半夏生とハンカチの木がともに鉢に元気。
 今週の話しとして、公工事で福島、オリンピック、好況により資材価格が高くなって予算超のおそれ。
2014-07-03 09:36 | カテゴリ:未分類
 朝は小雨、昼ごろから薄日さす、そして日が照り暑くなる。
 実践倫理婦人のつどい。墨書会「書香」700号記念、腰田会長文化賞受賞祝賀に出る。乾杯して退出。
 夕方、畑の西瓜(足の置場もほとんどない)や瓜に敷物。とるべき太くなった胡瓜が十本以上になる。



 肥前平戸の城主、そしてかの『甲子夜話』二百七十巻の編著者として知らる松浦静山まつらせいざんが、1841(天保12)年のきょう、82歳を以て江戸に卒した。武芸に通じ、文学を好み、藩主としては鋭意治を図り、明君の称が一時に高かった。
 侯は学問を奨励し藩校を建て、佐藤一斎を招いて平戸藩の文学を興隆された。天明中、参覲の途次、大阪に皆川淇園の来ているのを聞き、聘して教えを請われた。それから後は大阪を過ぐるごとに淇園を招かれるのが例になった。
 1801(享和元)年のこの日、細井平洲先生歿す。歳七十四。近世日本の生んだ最も立派な人物の一人。
2014-07-05 09:46 | カテゴリ:未分類
 朝、きゅうにどしゃ振り、やがて止む。今日は一年の真中の日。
 セーレンの川田会長、結川社長が就任あいさつで来訪。
 三国の明老会が県庁見学。
 昼から上京。高速道でまた雨あり、そして日が射してくる。飛行機は雲多し。東京は曇天、むし暑い。
 安倍首相夫妻によるブータン首相歓迎の夕食会に出席(総理公邸)。始まる前に、京大松本総長、町村会長、河井議員(広島)としばらく談。
 官邸前の交差点では明日の集団的自衛権決定に向け、激した音響のデモ、機動隊の沢山のバス、警察官、カメラなど暗やみに見える。公邸の玄関先まで聞えていた。



 山岡静山、1855(安政2)年のきょう、27歳にして没した。江戸の人で、幕府の士であった。槍術に於て当時その右に出ずる者なしとされた。そればかりか母に仕えて至孝に、立派な人格者であった。
 静山嘗て曰く、「人に勝とうと欲したら、先ず徳を己に修むべきだ。徳勝って、そして敵おのずから屈する。これを真の勝とする。技術だけで勝たれると思ったら大きな誤りだ」と。また曰く、「人の戒むべきは驕傲だ。一驕が心に生じたら、百芸は皆廃れる。既往を顧みると、自分もやはりそうだった。回想する度に冷汗を覚える」と。
 静山の実弟は同じく槍術の泥舟、出て高橋家をついだため、跡に選ばれて門人の山岡鉄舟(小野鉄太郎)が相続。
2014-07-05 09:49 | カテゴリ:未分類
 朝7時55分の便で小松空港へ。JALの方が予期に反してANAより5、6分遅着。
 北陸道に合歓の花がほのかに咲き出す。
 大野市制施行60周年記念式典に出席する(文化会館)。山崎議長の名誉市民推挙状の授与式あり。郡上の日置市長に昨夏以来の再会、しばらく会場で談ず。三十分ほど子供たちの伝承舞踊(雨乞い踊、麻那姫音頭、小山鍬踊・小山農民踊、しぐさ踊)を見学。どの児童も長い説明をフリーで見事に言い、踊りも新旧多様。
 座ぶとん集会を遅羽住民協議会、縄文の里料理研究会と行う(公民館)。いまでも報恩講を続けている地区である。カキモチやフキ砂糖キャンディが上手。一番南の比島地区では九頭竜川に新しい橋を建設中(帰路、橋脚の一部眺める)。
 原子力レスキュー基地のレイアウトについて。健康福祉部は表彰案件が多い。
 今夕、集団的自衛権の閣議決定あり。コメント出す。



 篠崎東海とうかい、1739(元文4)年のきょう歿す。歳五十四。彼は江戸の人、小さい時、幕府の侍医山田宗園について医を学んだ。
 東海やがて教授を以て立ち、のち上州小幡侯に仕えて優待された。また林鳳岡ほうこうの知遇を受け、その才学を称された。東海は博学であった。儒学の外、国学、記伝、有職故実、物語、実集の類まで、悉く通じないものはなかった。
2014-07-05 09:53 | カテゴリ:未分類
 今日は夏至から十一日目。七夕短冊飾りつけ、みのり町にある鹿苑第一保育園の園児たち(県庁ホール)。短冊飾りつけと、4児が願いごと発表(宇宙、シェフ、ピアノ、英語)。鳴子による「よさこい」、「きらきら星」、一緒に「たなばたさま」歌う。
 また昨日は公正像前に初めて、藩政期の七月飾りつけをしたとのこと。
 国見寿クラブ県庁見学、海女の方一人おり。
 予算特別委員会の打合せ、8時ごろになる。



 伏見稲荷の神官荷田春満あずままろ、1736(元文元)年のきょう、68歳にして歿した。彼は元禄の古学復興に名乗り出て、専ら国史国典の研究によって漢学や仏教の影響を蒙らない以前の国体神道を明かにすることを主張し、後の真淵等の研究の先駆をなした偉人であった。大高源吾とことに親しく、吉良邸の絵図を作って与えたという。
 彼は雄々しい性格の把持者であった。元来が敬神尊王を主眼とした慷慨家で、芸術家ではなかった。一生恋歌を詠まなかった。
 佐野了伯、秀吉に仕え、功を以て下野の佐野・足利領主となる。1601(慶長6)年この日44歳にて卒す。平家琵琶の宇治川先陣、扇の的を語るを聴いて涙を流したが、家来達が理由わからなかった逸話あり。
2014-07-07 09:41 | カテゴリ:未分類
 くもり、夕方から雨になる。
 予算特別委員会。人口流出問題の質問多し。6月は予算議案なく一日で終る。5時に終了。
 政府が、北朝鮮の拉致被害者調査委の実効性を評価し、制裁一部解除を決定、ぶら下りあり。
 早目に帰宅。李を食す。



 漢学者羽倉簡堂はくらかんどう、1863(文久3)年のきょう、74歳を以て没した。彼は幕府の麾下の士で、諸州の代官も歴任した人だった。
 簡堂はじめ古賀精里に学んだ。最も歴史を好み、『通鑑』を幾回となく読破した。文章は韓退之を慕い、その祠を庭園の中に建てた。簡堂はまた武備のあった人であり、横井小楠の「遊学雑誌」の中に水戸烈公に所望され、鉄砲を三発して三中させたという伝え話が入っている。水野越中守の改革に抜擢されて機務に預かったが、鳥居耀蔵に陥れられたか俄にその職を罷められ、門を閉じて屛居した。それより家を弟に譲り、専ら力を読書に用いた。彼は聾を病むからといって再びの登用を固辞。
2014-07-10 08:29 | カテゴリ:未分類
 朝、ちょうど雨が上がっている。幸橋のルートを通る。一昨日に久し振りに幸橋を通ったのだが、公正像前に七夕が飾ってあった。やや丈が低すぎる感あり。今朝は早いのか雨なのかで、まだ飾られていない。
 東京は着いて間もなく霧雨。
 東レの本社を訪問し、日覺社長、藤川顧問(福井出身)と意見交換。炭素繊維の土木資材を。
 皇居前のマンホールのデザインを写真にとる外国人観光客、それぞれ他国に対する関心がちがう。
 中部縦貫自動車道に関する要請、山崎議長、菅官房長官に行う。長官は「ふるさと納税」を拡大したいと言われる。佐々木審議官、徳山道路局長にも。
 アメリカ独立記念日の大使館レセプションに招かれ出席する。小雨がち。玄関口にケネディ大使たちが迎える。メラメド氏のこと、小浜、敦賀のことを申し上げ来福を求める。6時半ごろからテントの中庭で式典、四人の儀兵の敬列、両国国歌。林大臣(農水省)による祝辞。大使のあいさつ。飲み物系が多い。ホットドックやクッキー、西瓜などあり。パトリック・ハーランさんと宇宙飛行士たちに会う。D・キーンさんとソファーで寸談。



 朱学派の儒者西依にしより成斎せいさい、1797(寛政9)年のきょう、96歳の長寿を以て没した。肥後の農家の生れであった。小浜侯は深く成斎を尊信され、常に先生と読んでその名を口にされなかった。
 成斎生れて大兵肥満、まるで相撲取のようだった。高齢に達しても精力衰えず、土用にも袴を脱がず、寒中にも炉に近づかなかった。書を好み、八十を越してからも、暇さえあれば字を習った。成斎は尊王愛国の儒者であった。
 この日1868(明治元)年、近世の歌人大隈言道ことみちが七十一歳で世を去った。「つばくらめ親まちかねてならべればわれもおそしと見る軒端かな」等。
2014-07-12 08:27 | カテゴリ:未分類
 くもり。空港近くの眼下の景は土曜日だから、ゴルフをする姿がどのホールにも小さく見える。
 機中、尾木ママに会う。福井の保育園での講演会とのこと。
 久野氏の叙勲受章(交通安全関係)祝賀会に出席する(清風荘)。
 ジャガイモを掘る。暗くなってしまう。やや取る時期がおくれ、瓜類の葉がかぶってきて仕事が難儀。



 本草学者の稲生若水いのうじゃくすい、1715(正徳5)年のきょう、61歳をもって京都に没した。丹後宮津の永井侯の儒医であった稲生恒軒の子。経義文章ももとより人に卓越したが、しかしその専門とするところは博物の学にあった。
 彼は『経書』を講釈する暇々に独学を以て研鑽を積み、年を累ねて学識大いに進んだ。唐本にあってわが国に産する薬物千二百種を確め得た。若水は加賀侯の補助に頼り、「庶物類纂」を修す。
2014-07-12 08:38 | カテゴリ:未分類
 県道常神三方線の神子トンネルが開通し式典に出る(若狭町小川)。園児からの花束贈呈まである。はじまる三時頃から折あしく雨が落ちはじめ、テープ、くす玉、風船のころには雨、モチマキのときには小止み、モチは紅白の小振り。子供には菓子袋。
 トンネルを通って神子集落の出口のところで、テント内での祝いの場(モチ、シジミ、サシミ、焼イカ、サザエなど)。婦人の太鼓隊、男性の棒による餅つき、鏡割りなど、村の人たちは工事の完成に嬉しく動きは元気そのもの。子供たちや女性が次の道を作ってほしいと真剣にいう。帰り道、岬の旧道をゆくとガードレール上に狐猿こちらを眺めて座す。



 備前の池田家にさる者ありと知られた番大膳ばんだいぜん(景次)が、1636(寛永13)年のこの日に歿。主君の利隆が冬の陣において家康から二心を疑われ、使者として言い聞き疑念を解いた有名な逸話あり。
 篤古の君子、漢文学の山梨稲川やまなしとうせん、1826(文政9)年のきょう、56歳を以て江戸に歿した。
2014-07-12 08:46 | カテゴリ:未分類
 くもりと小雨。
 部長会議。
 幅口・村上両選手のビーチバレーボールアジア大会出場報告。福井の砂浜は選手に人気とのこと。若狭路女将の会(わかさ会)が来訪。恐竜に関心をもっている。まず地元の資源活用が重要。
 「Nile's NILE」インタビュー。福の井・御廊下橋の写真のとき、傘がいるようないらないような天気。日本経済新聞インタビュー「原子力発電の今後」。
 蓑輪会長(福井信用金庫)があいさつ来訪。信用金庫制度は尊徳翁に由来し、静岡の掛川が初め。全国の会員同志の旅行をあっせん、よい事である。
 若手経済界の人達と意見交換会に出席する。人口減少問題を論じ合う。会社の女性の採用・登用は現実に問題点あり。女性職員の1割以上がいつも休暇状態。35才以上の出産は厳しいことを知るべしの声。50才以上の女性の職場環境などについて。



 比類の稀な女方であった沢村田之助、1878(明治11)年のきょう、まだ34歳にして逝いた。すいぶん早熟の児であったのだ。そして十六歳にして立女方に進んだ。その芸術的気稟と容姿と、二つながら恵まれていた田之助も、天の寵幸をいつまでも持続するわけに行かなかった。舞台裏で物につまづき脱疸に罹り、彼は手足のない不自由な体になってしまったのだ。そして彼はなお屈しなかった。時に人に扶けられて場に上り、狂言ごとに人気は湧くが如くであった。
2014-07-12 08:58 | カテゴリ:未分類
 晴れ。超大型の台風(8号 風速75米超)が沖縄に近づく。
 若狭さとうみハイウェイの開通について番組収録(元気通信、おはようセブン)。
 一票の格差の勉強。
 福井特別支援学校高等部(16名)との記念撮影。ほっぺたに夏の元気を感じけり。
 堀口陸上自衛隊中部方面(伊丹)総監が来訪。福島震災のとき群馬で旅団長。
 直近の企業誘致の現状について。
 6月議会が閉会する。集団的自衛権の行使容認に関する意見書否決。
 京都大との初めての高大連携。FUKUI英語ランドはよしとしても、授業改善を。
 田村・松田正副議長の就任をお祝いする会(Yホテル)。



 詩人として聞えた柏如亭かしわじょてい、1819(文政2)年のきょう、57歳を以て窮死した。生粋の江戸っ子。いわゆる宵越しの金は使わない部類の人間で、生産を事としない。髪を下して如亭山人と号し、四方に客遊して雲水僧のような一生を送った。
 如亭は必ずしも不幸な人ではなかった。生前には天真爛漫な性格を以て諸人に愛された。「詩本草」1巻は食味を説いた随筆。
 市川鶴鳴、1795(寛政7)年のこの日、五十六歳を以て歿。宣長の漢学攻撃を反駁。
2014-07-17 10:13 | カテゴリ:未分類
 早朝から快晴、嵐の前のふしぎな好天気なり。
 7時50分ANA一番機で羽田へ。福井平野の東山麓は、山や特に田は、青緑したたる美しさ。白山はやや雪の線条が残る。スキージャムの緑のゲレンデと恐竜館のシルバーの輝きが一つにつながった景色が一望。
 県境の山を越えると雲が急に多くなり、富士山は灰色の笠雲、南方は暗雲。東京、くもり、24℃と放送。
 整備五線の合同中央要請を、北海道知事とともに三県の議長、副知事と行う。細田自民党幹事長代行。余談として電力会社が第二の国鉄化にならぬよう再稼働と言われる。公明党の伊藤国交部会長、新幹線の運転免許をもっている、JR勤務のときスト権ストに備えたとのこと。佐藤衆議院議員同席。与党PTの町村座長の前向きな発言を一同感じる。関口総務副大臣。
太田国交大臣は、北海道・北陸・長崎に対し、新幹線が有益であることのPRに力を入れて欲しいと述べる。麻生財務大臣、列島が新幹線でつながることが必要、早期完成は重要であり主計局に指示したと言われる。地域エゴ的な主張の形でなく、災害などの国家的重要性を強調すべきと。
 第4回のLNGインフラ整備研究会(都市センター)。浮体式のリガス船(国交省から)の提案も新たに出てくる。
 長野、南木曽町で大雨による土砂流起る。
 早朝、ミサイルまた発射、拉致協議開始に影響なしと官房長。前回の発射が6月29日にすでにあり。



 徳川中期に於ける三弦の名手であった江戸の与力、原武太夫ぶだゆう、1776(安永5)年のきょう80歳を以て歿した。武太夫は十八大通より一時早く知られた放蕩者だった。吉原と堺町を自分の家のようにして遊び暮らした。
 あるとき武太夫、品川のお茶屋で三味線を弾いたところ、その音色が常と違っている。武太夫、津浪が来るとて人々を誘って早々にそこを引き上げた。案に違わず間もなく大きな海嘯つなみが来て、家や人の多くを流失した。人々武太夫の技芸の妙を感じ合った。
2014-07-17 10:30 | カテゴリ:未分類
 くもり。台風が南の方にそれる。テレビの画面は不思議としばらく潮岬付近に停止している。
 予算要請活動を沼田林野庁長官に、旧分収林事業の支援、林業振興基金の継続について。防衛省の中島運用企画局長、眞部防衛政策局次長、西事務次官に防災救援基地の要望。菅内閣官房長官にふるさと税制(ふるさと納税、ふるさとの日、法人税の地方軽減)について。岡崎事務次官にふるさと納税の拡大、給与水準の確保。
 昼ソバ、やや外れのメニュー。
 青柳文化庁長官への要請、越前和紙の世界遺産、現在のコンセプトはやや奇妙。工芸サミット開催について。
 毛利さんに児童科学館名誉館長の継続就任の依頼。展示物ではアンドロイド、特別展はウンチ展!
 旭硝子(株)を訪問し、福井出身の平井常務らへ進出要請。
 今日の与党PTレベルで、三年短縮案きまる。お礼にも回る(夕方ではあったが、町村会長をはじめ多くの議員存室)。
 帰路、一時的に強雨あり、あとは風がややあったのみ。明日、引越の人あり。アルゼンチンPKでオランダに勝つ。ブラジルは昨日ドイツに大敗。



 徳川初期の名相であった土井大炊頭おおいのかみ利勝が、1644(正保元)年のきょう、72歳を以て逝いた。幼にして家康に近侍し、ついで秀忠、家光と三代に歴任し、幕府最初の大老となって、献替最も功が多かった。その政を輔くるに、つとめて大体を存し、苛察に流れず、まことに得がたき宰相の器であった。口上を忘れた使者への態度、城内の禁煙のこと、居間に落ちていた唐糸のエピソードなどあり。
2014-07-17 10:45 | カテゴリ:未分類
 空は晴れて夏空、ともかく暑気。
 第2回の原子力小委員会に出席する。元米国エネルギー省副長官ウィリアム・マーチン氏と黒川元委員長(国会事故調)からの報告ヒアリング、および当小委の今後のテーマ設定について。通訳来らず職員が臨時に代行してやや不調。意見交換の時間配分もあまりよくない。M氏は中東の米軍犠牲のこと、K氏は透明性のことなど述べる。テーマ設定は腰がひけた感あり安全に影響があっては困る。
 3時前に県庁帰着。大阪・神戸オランダ総領事のローデリック・ウォルス氏が去年に次いで再度の来訪、午前のオランダ風景画展の開会式に出席されたため。玄関ホールに展示中のレンブラントの和紙版画を案内する。
 舞鶴若狭道開通式について。全国知事会議、ふるさと知事ネットワークの会合について。
 決裁など残っていて、帰りが9時すぎになってしまう。



 近世の歌人である小沢蘆庵ろあん、1801(享和元)年のきょう、79歳を以て歿した。はじめ堂上の歌人冷泉為村に学んだが、やがて自ら「ただごと歌」を主張し、平明な歌風を以て世に鳴った。
 蘆庵はただのその詠歌のみではない、人格の清高の点においても当時の歌壇中稀に見るところの人だった。情誼に厚く、勤王の志が深かった。
 この日、佐久間象山が京に斃れる、1864(元治元)年。
2014-07-17 10:49 | カテゴリ:未分類
 真夏のような天気がやってきた。台風は列島の南岸に偏って、一過のすがすがしさはなし。
 昼すぎ畑に行って汗をかいてしまう。きゅうりやピーマンは大きくなり、トマトも赤くなっている。
 昼から勉強をする。色紙もかく、紙質が今日の途中から変っている。
 図書館では、紙芝居を児に見せる父親の姿あり。孫と卓に向い話している祖母あり。
 6時から全国地域婦人団体連絡協議会中部ブロック会議交流会に、田村議長、福井市長らと出席する。三国の三姉妹の洋風和楽演奏と三国節・踊あり。全国会長の柿沼さんが来福、県職、町長を経験し現埼玉県議。埼玉では医療、介護が追いつかないとのこと。婦人会が進めているおいしいふくい食べきり運動のコースターあり。ともかく学芸会のようになって出し物がつづき三時間近くになる。



 若州小浜の城主、酒井讃岐守忠勝が1662(寛文2)年のきょう76歳を以て卒した。家光、家綱二代の将軍に仕え、枢機を典ること三十年余、家光常に「右の手は讃岐守、左の手は伊豆守」といっていた。
 伊豆守の信綱が、早熟の麒麟児だったのに引きかえて、こちらは晩成の大器であったのだ。長じて大智あり、その深さ宕さ、測り知るべからずとされた。
2014-07-21 09:20 | カテゴリ:未分類
 舞鶴若狭自動車道の全線開通記念プレイベント(三方五湖PA)。敦賀、小浜市長、若狭、美浜町長、石川議員ほか県議諸氏。
 三十分ほど前から雨が落ちる、若狭町の会場は雨のためか200人ほど。cycling in the rainも想い出なり。子供を後と前に乗せた自転車の親あり、車イス型も1台、マウンテンバイクも。年配者の男性も多し。PAの絵地図の上に糸トンボが一匹雨宿りで止っている。帰路、雨の砂浜でキス釣をしているらしき男一人あり。
 小河フレンドくらぶと「座ぶとん集会」(小河公会堂)。高速道を高く見上げる高架橋をくぐり、しばらくすると左手にタモの名木あり、ここが小河出口のバス停、それから1kmほど奥に村落あり。ともかく活動を皆んなで楽しんでいる。現26世帯78人、以前は31世帯ありといい、空屋8戸あり。神奈川(伊勢原)から移住した男性あり。いま園児1人、小学2人、中学2人、高校生4人。鳥獣害、河川修理、魚道の必要、杉の伐採期なり。里海湖研究所の職員も来ており、活動の相談を進めるようにした。
 白藤氏の叙勲受章祝賀会(武生パレスホテル)。長い時間となる。安野君と会う。今日は越前市議の投票日でもあるが、出席議員は自信。



 画人であった椿椿山つばきちんざん、1854(安政元)年のきょう、54歳を以て没す。崋山門下の第一人者といわれた。軍学を平山行蔵に学び、砲術、剣術、居合までその奥儀を究め、鍛工に甲冑を製らせて、冬日降雪を待って、その甲冑に身を固め、上を蓑笠で覆って愛宕山に登り、屈伸の自在なりや否やを試みた。
 椿山、至って名利に淡く、常に綿服を着け草履を履いて歩いた。武道の外に椿山笙を嗜んだ。毎日厳課を立てて、昧爽起きるとまず居合抜を試み、昼間は画筆を執り、夜間は笙を吹奏して、時に三更に及んだという。
2014-07-24 09:34 | カテゴリ:未分類
 くもり。気温高く、むし暑い。
 昨日、原子力規制委員会が審査書案を了承。事実上の審査合格となった鹿児島川内発電所の記事一面。
 中日本高速道路の宮池社長が就任あいさつに来訪。
 「Juratic」PR隊のサウタン、ティッチーを副隊長任命式、園児も出演。
 記者会見について、いじめ委員会について。
 年1回開催する知事と近畿・北陸整備局長会議。森近畿局長は就任1週間目で積極的。
 先週東京でお会いした旭硝子の湊事業統括本部長(化学品カンパニー)とAGC若狭化学の福田社長が来訪。
 県立大学業務実績報告、学長、副学長らと意見交換。生物資源学部が関与しているパン、ワイン、醤油、魚加工など話題。経済学部の改善が十分に進んでいない感あり。
 磯見NTT西日本福井支店長が着任あいさつ。



 京儒の伊藤東涯、1736(元文元)年のきょう歿す。享年六十七。東涯は父仁斎に較べると人物が消極的で、微温的で調子が低かったといえるけれど、その博聞宏識は父に倍した。また、静かな謹ましやかな人で、他人の上を決してかれこれいわなかった。嘗て紀州侯から五百石を以て招かれたけれど辞して仕えず、父と同じく終身民間にあってその号とした堀川の東側の家塾に講学して、平淡な他奇のない一生を送った。
2014-07-24 09:44 | カテゴリ:未分類
 くもりから薄日和、陽が出ると暑い。
 若狭歴史博物館リニューアルオープン記念式典。前の駐車場のテントで行い、その後に玄関でテープカット、遠敷小生たちと一緒に。展示はわかりやすく見ごたえあり。立派な仏像(千手観音、十一面観音など)。中島元館長、瀬尾氏と館長室で意見交換。
 堀坂明弘JR西日本営業本部長着任あいさつ。さまざま要望を強く伝える。
 藤崎前駐米大使と懇談。
 竹田清美「感謝」という本を橋本さんからいただく。二〇〇四年冬の大長山遭難のとき無事息子さんが生還したことが書かれている。
 この十日ほどの間は、ベネッセの子供たちの情報大量流出(7/9)、マレーシア航空機がウクライナでミサイルに撃墜(7/17)、滋賀県知事選(7/13)などあり。
 pre-fix menu menu-less restaurants.いわゆるコース料理が米国でも出てきたこと(実践ビジネス英語)。



 西郷従道じゅうどう侯、1902(明治35)年のきょう薨ず。歳六十。侯はただもう愉快な人だ。人物が茫漠としていて輪郭が大きくって、ちょっと見は馬鹿か利口か解らないようで、不得要領の内にちゃんと要領を握っている。
 閣班に列すること前後二十余年、明治十八年以後どんな内閣が組織されようと、侯はその中に大抵顔を出していた。そして薩長二派の調和機関となり、政権の運転を円滑ならしめた。乃兄だいけい隆盛には、時に烈日の威と秋霜の厳とがあった。勝海舟は嘗て侯を評して、「智恵と度量とだけを較べたら、むしろ阿兄あけい(あにき)の上にあろう」といったそうだ。
2014-07-24 09:49 | カテゴリ:未分類
 野外恐竜博物館オープニング式(勝山市北谷)。3台のバスで恐竜博物館から現場へ行く。雨は幸い降らず、曇りだが途中さっと陽も射す。現場は今月末から始まる第二次発掘に備えて、重機が動き研究員たちが放水している。
 谷川の水は豊富に流れ、うぐいすの声がする。テープカットは、田村議長、山岸市長、松井議員、藤崎元大使、ダニエル・アギラル氏(スペイン大使館)らと。村岡小の子供たちと発掘体験、岩石は割ってもすぐには出て来ない。
 夕方の畑のスイカが何個も割れている、なにゆえか。真桑瓜もあとわずかで収獲か。メロンはもうすでに。なすびもどんどんなっている。きゅうりは後半期。



 徳川の忠臣で、また明治朝廷の忠臣で、剣客で、また禅居士であった山岡鉄舟、1888(明治21)年のきょう、53歳を以て没した。殊に彼の人物は、海舟の弔文中の「清爽の心臓」、「勇剛の気象」の二語に依って、遺憾なく描き出されているといっていい。
 居士は何事にも徹底せずんば止まない人であった。殊に生涯を通じて最も刻苦されたのは剣道だった。剣についでは禅に非常に骨折られた。自家であるとないとを問わず夜は必ず二時まで坐禅された。
 久坂玄瑞、1864(元治元)年のこの日、蛤御門の変で死去す。
2014-07-25 08:42 | カテゴリ:未分類
 早暁、大きな雷雨が何度もひびき強い雨音が周期的にくる。市内などで一部浸水あり。朝には上っており、8時すぎに家を出発するころには空は青い。しかし、嶺南に近づくにつれ雲が多く雨も落ちる。また完全に天気図の雨雲が南に下りてゆかず、レーダー図ではあいにく、敦賀あたりで強雨の影が局地的に付いている。
 舞鶴若狭自動車道の開通式を美浜町総合体育館で行う。結果として三十分ほどで天気に変ったのだが、テープカットは体育館内で行う。外に出ると晴れ。中日本道路の茶村会長、宮池新社長も出席。森局長(近畿地方整備局)、中神高速道路課長ら。地元の人たちの期待の映像も流れる。
 三方五湖PAから三方ICまでの間、関係する車両、すなわち工事用車両、コンテナトレーラー、エレファンツのバス、恐竜ラッピング車、消防車など走行し、通常のわれわれの車両も髙木副大臣から順にパレードする。まず風船がゲートのところで上る。高い視点が得られ、またルートが全く初体験なので、山々や湖、集落の景色も美しく感じる。鳥浜トンネルの西側あたりの田圃ではもう稲穂が出ており、赤トンボもわずかに飛んでいる。
 三方青年の家において田村議長、森下若狭町長らと弁当。
 そして建物を出て、若狭路さとうみフェスティバルのオープニングセレモニー(縄文ロマンパーク)に移る、すこし歩くだけでともかく暑い。緑の若狭町長推賞のTシャツを着す。県内各地から多くの売店がテントに、ステージでは合唱、その後セレモニーのあいさつ。高橋愛さんの司会で各市町のキャラ全員と恐竜の新参三兄弟。最前席では扇風機を回してミストを発している。ステージ裏は涼しくて、湖から風が吹いてくる。
 3時からの開通であり、まだ一時間早いので帰りは下道を戻る。



 維新中興の功臣であった岩倉具視、1883(明治16)年のきょう、59歳を以て薨じた。公は実に天成の政治家であった。
 維新後の公は明治政府の柱石であった。断然開国の国是を定め、しかも国体の基礎を重んじ、明治天皇の御覚えもめでたく、翼賛の功が多かった。その剛毅な性格は時に剛愎と取られ、奸物と罵られなどもしたが、しかしそこには公家ばなれのした公の人物の重みはあったのだ。
2014-07-29 09:18 | カテゴリ:未分類
 猛暑である。朝、甘薯の粥を食す。梅雨がきのうの早朝の雷鳴によって、今日からは明けたのではないかと思った(気象庁からの公式発表はまだない)。蝉も鳴いていると家人いう。花壇のトウモロコシもどんどん伸びて、雄花が縁から淡黄色に変ってきた。きのうの嶺南のイベントでの売店の人の話によると、雄花を早くとらないと蟲がきて粒が抜けるというのだが、どうしたらよいのかいま1つ方法が不明。
 三連休の最終日、きょうは久し振りに休みがとれた。自分はともかく、この週末は若い人達に何かよい事が起ってくれていたらよいかなと思う。
 八月のセミナーに村山由佳さんがゲストということなので、彼女の著書を読む。「楽園のしっぽ」(2005年 文藝春秋)、キャロル「不思議の国のアリス」村山由佳訳(2006年 メディアファクトリー)。作家は房総の鴨川に田舎ぐらしをしていることを知る。不思議の国のストーリーはもともとが混乱の極みなのだが、それにしても子供向けの訳に比べて後半部がなんだかややこしい。
2014-07-29 09:26 | カテゴリ:未分類
 くもり。
 部長会議。嶺北特別支援学校(10名)が引率先生3人と県庁見学。
 本年度の県安全安心まちづくり推進会議。児童・女性の安全、高齢者に対する詐欺対策など。全国で子供の事件あり。
 児童福祉事業基金へ寄付された小川英子さん(女性防火クラブ連絡協議会長)に感謝状贈呈。
 野津パナソニック北陸支店長が着任あいさつ。
 日本銀行(金沢支店)との情報交換会、わるい傾向はあまりみられないとのこと。
 県営体育館の改築予算単価について。
 県庁管理職のob会。
 東京出張す。東京は今日が梅雨明けとなる。



 左衛門尉景晋かげくに、後に隠居して楽土らくどといった遠山金四郎、1837(天保8)年のきょう74歳を以て没した。昌平坂学問所での試験後数年にして御徒頭となり、目附になり、長崎奉行となり作事奉行となり、勘定奉行となり、老を以て致仕するまで朝に立つこと凡そ四十三年、前後の勲績すこぶる多かった。刺青ほりもの奉行として知らるる遠山の金さん(景元)の父である。
 また私人としては趣味の人だった。読書を好み、音楽を好み、老後はつねに雅楽鄙歌を謡って自適し、その余生を楽しんだ。父子ともに久しく官にいて令聞令望あり。
2014-07-29 09:33 | カテゴリ:未分類
 夏の快晴。オスプレイを佐賀空港に配備したい旨の正式要請(朝刊)。
 野上国交副大臣、徳山新技監ほか幹部に対し舞若道のお礼。
 石井国交審議官、深澤道路局長、小関都市局長、佐々木国交審議官にも。都市局においては都市公園、体育館の資材値上り対応予算。
 国交省一階のホールは混雑している。山形知事、三重知事に遭う。
 2時半から第三回の原子力小委員会に出席する。敦賀市長から現場報告。当方からは廃炉・リプレース・中間貯蔵の施策一本化、重要なベースロード電源・原子力依存度低減、温暖化対策などをもとにしたベスト・ミックスの決定を求める。原子力事業者との質疑多く、会議運営ややわからず、改善を求める。夜8時過ぎ帰宅。



 儒者の頼杏坪らいきょうへい、1835(天保5)年のきょう歿した。歳七十九。頼三兄弟の末。杏坪先生の事蹟として特筆せなければならぬことは、彼が学者であり、教育家であっったと同時に、また立派な広島藩の行政官であったことだ。
 杏坪五十六歳にして、三次郡などの地方の役人となりついで代官となり、『経書』に拠って学んだところを実際に行った。そしてその職にあること二十年の久しきに及んだ。彼は老軀を提げて、進んで難局に立ったのであった。
2014-07-29 09:57 | カテゴリ:未分類
 くもり、小雨も一日の途中あり、北陸は梅雨がまだ上ってないらしい。
 7月の記者会見。人口対策新組織に改組、国体選手帰住サイト、由利公正展(竜馬、後藤書簡など)、県民歌の新メロディの依頼、夏のブドウ(紫)など。質問は原子力がほとんど(美浜事故十年、川内、滋賀)。
 経団連首脳懇談会に出席する。最近の県政をあいさつの中で説明。国体選手の確保要請。車の購入は、4台に軽自1台の割合の時代から2台に1台に変化している。東京から2時間圏に福井を。運転手の雇用確保が問題となる。水素自動車は、結局電力をつかう。繊維は利益はともかく来年まで見通しあり。
 敦賀市、越前市からのそれぞれ来年度の要望を40分ほどうけて意見交換。県議同席。
 幼保、医療等の関係者と懇談(ユアーズ)。



 鈴屋門の国学者横井十郎佐衛門・千秋、1801(享和元)年のきょう、64歳を以て逝いた。千秋ちあきというはただ学問上にばかり用いた雅名であったのだ。家は千石を領した名古屋藩の重臣。
 彼は宣長の門人としてよりも、その保護者として記憶さるべき人であった。宣長の曠古の大著述『古事記伝』を、巨資を投じて上梓させたのは彼であった。彼は実にわが近世文学史上の一恩人であった(と銑三記す)。
 女流の俳人、花讃女かざめ、1830(文政13)年、歳わずか二十三にして逝いた。句集「萩陀羅尼」凩に歌舞伎見る夢をさまされし。
2014-07-29 10:06 | カテゴリ:未分類
 はれ。特段の猛暑。
 ひとり親の子供たちとの交流会。みんなで万華鏡をつくり、昼食など(おおい子供家族館)。若狭さとうみハイウェイをはじめて全線走る。湾、湖、津々浦々が真青に目に映る好天。
 歌手の谷村新司さん、北陸DCキャンペーンの歌づくりのため、JR西の野中支店長らとともに来訪。
 藤副理事長(NUMO)が来訪。
 昨日、アギレ氏サッカー日本チームの監督に決定、同氏はメキシコチーム監督として2002年に福井(三国)キャンプ。
 ここ数日、台湾機、アルジェリア機が墜落。なにか事故発生による確率ありか。
 浙江省の福井観光大使をした胡偉白氏や家族のみなさんが来訪。20年にわたって受け入れてくれた医師家族や観光協会等といっしょに懇談。



 地理学者の長久保赤水せきすい、1803(享和3)年のきょう、85歳の高齢を以て没した。常陸赤浜の人で水戸藩に仕えた。小時、家が貧しかったが学問好きで、日となく夜となく勉強した。その学、何ということなしに博かったが、最も地理に精しく、『日本輿地路程全図』その他、和漢の輿地図、地理志数種を著した。我国の人々は赤水の地図に拠ってはじめて日本全島の観念を得ることが出来たのだ。
 「近世畸人伝」の著者、伴蒿蹊こうけいが74歳にて、同じくこの日に歿。
2014-07-30 09:11 | カテゴリ:未分類
 猛暑。
 第63回の県消防操法大会(消防学校)に出席する。田村議長、髙木・滝波議員らも。各市町長がだいたいそれぞれのテントに。永平寺消防団から訓練開始。
 鯖江商工会議所青年部と座ぶとん集会を行う。ことし鯖江YEGは35周年。中小企業であるから自己努力もあるが、何んといっても県全体が振うことを期待している。30年以上前の古い商店街の建物が更新時期。
 あさひまつりオープニング(越前町役場前)に参加する。町長談では今朝の消防操法では丹生が優勝したらしい。夕日が熱くて、祭のうちわで日陰を作らなければ耐えられない。幼児の風船上げ、ダンスなどが始まるので、ほとんどのお母さんたちはステージに背をむけている珍風景。
 清水町あたりで穂の出た稲田に何かを撒いている。夕方の野らが白い煙である。



 上杉定正に仕え江戸城に住んだ太田道灌どうかん、1486(文明18)年のきょう、55歳を以て没す。
 道灌、定正の意を受けて、よく国政を修め、民を撫し物を愛し、兵威日に強かった。八州の城主も皆心を寄せた。しかし彼のその武人に傑出したのは、じつにその文雅にあったのだ。文武両道に通じ、まことに当時には珍しい人物だった。有名な山吹の歌は道灌とは関係ないが、美しい日本の伝説として永久に伝えられるべきであろう(と銑三記す)。
2014-07-30 09:16 | カテゴリ:未分類
 朝方、何度か強い雨音がする。朝は上って曇っている。十時すぎから薄日がさす。比較的すずしい。昨日は新記録の最高温度であった、小浜で38.7℃。
 この時期は夏休みの子供の頃の気持がすこしばかりよみがえるので、七月はどんどん過ぎてゆく。もう七月も27日もなったのかという気持がする。
 夕方畑へゆく。野菜にとっては早暁の雨は一息の慈雨。夕方も灰色の雲多く、肌色の夕焼けが出る。瓜やミニトマトや茄子がよくとれる。



 曹洞宗の明治の四高僧と称される原坦山たんざん、1892(明治25)年のきょう、77歳を以て没す。奥州磐城平に生れ、十五歳で昌平校に入り、兼ねて医術を学んだが、後翻然として志を変じて仏に帰した。
 資性は詼謔(かいぎゃく)、小事に拘泥せず、担山奇言奇行を以て人を驚かすもの甚だ多かった。後帝国大学に印度哲学科の置かれた時、入って講師となり仏教を講じた。
 江戸の俳人、清水超波ちょうはがまだ三十六の壮齢で1740(元文5)年のこの日歿した。
蜻蛉や飛び直しても元の杭。荒海へ舟から投げる氷かな。
2014-07-31 09:33 | カテゴリ:未分類
 晴れ、朝涼し。昨夕、ピーマンをついでに採りそこねたこと論の種になる。
 朝ドラ、蓮子母子に手出し無用と石炭王。この飯塚市の炭鉱王の旧邸が、「花子とアン」効果で観光の人気を呼んでいると地方新聞ニュース。伊藤伝右衛門(1860-1947年)、柳原白蓮(1885-1967年)。
 部長会議。
 ふるさと知事ネットワークの打合せ。
 戒田陸自第14普通科連隊長が転任あいさつ。市ヶ谷の運用第二課長に。
 昼食前の時限に英語講話(高志高校2年9組)。生徒が静かである。昼の時間にlet it beが流れる。
 次回の新観光戦略策定委員会について。産業労働関係の助成対象事業の検討など。
 夏休み親子県庁見学デー参加者(32名)との記念撮影。年長から小六まで、元気そう。
 「内外情勢調査会」の講演と懇談会。高速交通体系・原子力発電・人口問題に加え、幸福度日本一にかかわる各論。川田会長の乾杯あり。



 筑前福岡の藩士野村貞貫さだつら、1859(安政6)年のきょう、66歳を以て逝いた。女流の勤王家としてまた歌人として知らるる望東尼の夫であった。そして彼女の夫たるに恥じぬ立派な士人だった。
 貞貫夫妻は大隈言道に就いて和歌を学んだ。資性忠誠にして勤王の志の厚かった彼は、隠遁後藩中の心ある人々と会しては時事を論じ、或は国史『太平記』を講じたりした。彼もまた先覚者の一人であったのだ。望東尼の勤王もけだし貞貫の感化に拠るものが多かったのであろう(と銑三記す)。
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