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2014-08-02 15:39 | カテゴリ:未分類
 晴れ。
 一年で交流員離任、アレックス君。
 山里口御門、福鉄短絡線、恐竜の駅前造形物、北経連3県知事会議について。
 福井市からの重要要望をうける。元気が第一。
 英語授業改善ほか、まず実行案に至るべき。
 夏休み親子県庁見学デー参加者(30名)。
 児童科学館のリニューアルについて。
 畑へゆく。柵を1m弱平行移動し、キュウリ用の網がインゲン用に変身する。



 水戸中納言頼房、1661(寛文元)年のきょう、59歳を以て薨じた、諡して威公。頼房は家康の第十一子、母お万の方は賢婦人。乙子(末子のこと)であっただけ、家康からも大変愛せられたが、柔弱児ではなかった。天資英邁、穎脱えいだつの気象の事に触れては閃いた。子に水戸光圀。
 頼房長じて学を好み、常に儒臣を召して書を講ぜしめた。寛永中人見卜幽ひとみぼくゆうを京都から招いて召し抱えた。これが諸侯の儒者を聘したはじめであった。
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2014-08-02 15:41 | カテゴリ:未分類

 晴れ。
 政策議論(2回目)、農業の小技術導入。ふるさと知事ネットワークについて。
 知事と教育委員との意見交換会。競技力向上と大学入試の課題。
 夏休み親子県庁見学デー参加者(31名)。
 観光新戦略策定委員会、田川会長など出席される。意見交換する。
 「一票の格差」の原稿ようやく終了。



 連歌師の宗祇法師、1502(文亀2)年箱根湯本において82歳で客死。はじめ律僧、古今伝授を受け、連歌に於ては当時天下第一と称せられた。巧妙の地に長く留まらず、漂泊の詩人となる。
2014-08-04 08:54 | カテゴリ:未分類
 三重県に向う。新装の特急「しまかぜ」は最近導入されたそうであり、航空機的なシートの仕様である。賢島駅(英虞湾)まで約2時間、海が見えるのは、終着近くのミキモトの真珠会館の駅のところ。食堂車もあり谷本知事と小さいウナ重を食す。線路基盤が北陸線などに比べて不安定で左右によく揺れ、また窓に向って座したので酔ったような気持になる。
 ふるさと知事ネットワーク知事会合に出席する。コマツの坂根相談役が30分ほどスピーチされ、意見交換。
 懇談はやや離れた新館(志摩観光ホテル「ベイスイート」)にあるラ・メールという洋風(若い女性がシェフ)のレストラン。黒鮑ステーキ、伊勢海老クリームスープが売りだそうである。
 夕刻、ホテルの窓から4Fのベランダに出ると、下はうっそうとした雑木の樹林、そこから蝉とウグイスの季節が混じった声。その先は細く分れて静かな英虞湾と白い真珠の筏が浮く。はじめての場所のためか景色が美しい。



 幕末の良臣、大久保一翁いちおう、1888(明治21)年のきょう逝く。歳七十一。彼は家斉から五代に歴任。文久年間に於て、既に大政返上の説を抱いていた。抱いていたばかりか、敢然これを公の席へ主張した。並みいる人々肝を潰し、一言これに応ずる者もなく、皆一翁を以て発狂したものとなした。その卓識一頭地を抜くものがあったのだ。龍馬、一翁を姦物と誤解していたがその所懐に傾倒。一翁も横井小楠宛の手紙を龍馬に託したりしている。
2014-08-08 09:40 | カテゴリ:未分類
 朝は霧、英虞湾の遠くが霧中。二見浦や伊勢神宮に行くまでの地形は山勝ちの照葉の荒地が多く、小さい田の稲は福井並みの早生である。三重交通のガイド女史は福井にもよく来るそうで、矢部レストランや敦賀の魚まちが昼食場所らしい。
 二見興玉神社を視察する。ここは数年前に行った。神官おり参拝、しぶきのかかる平たい岩の上に出て写真。鈴木、溝口、吉村、平井知事と。看板に津波惨事の記事あり。蛙の伝説。
 伊勢神宮は日が照って2kmの道は暑い。ここは四十年ほど前の記憶あるのみか。去年の式年遷宮の効果がまだ続いている。五十鈴川には小魚がゆらいでいる。
 記帳をして、歩きにくい砂利の道を左側に廻って内宮前で参拝。帰りに神楽殿に上り、高城神宮少宮司と茶談。
 伊勢神宮の内宮前に、おはらい町&おかげ横町があり、見学する。小店も人出も多し。数百米にわたり様々な種類の店々。紙芝居をしている場所あり。赤福のカキ氷を茶屋で。今日は一日餅の日だという。そこで鈴木、溝口知事と三人が残る。
 それから多気町にある高校生が料理をつくるレストラン「まごの店」を見学する。相可高校がその学校である。厨房が完全にそろっていて、昼食(天プラ、野菜煮物、スシ巻、肉の汁物、スイーツなど)をする。指導者の村林先生、男女生徒1クラスほどが実演。高校食育王選手権にも来県している。ここで地元の久保町長と会う。
 紀勢本線のローカル駅である多気駅から、快速で名古屋に戻ることになる。ひなびた多気駅前では、伊勢の神楽が門付けを五人でしている。JRの特急も単線多く、名古屋直前で待合せしばしば。新幹線、北陸線経由で帰る。福井駅はなぜか賑やかであり、帰省なのかと思っていたが、きょうはフェニックス祭り(花火)らしく、浴衣の女性もみえる。山根一眞文化顧問と夕刻に意見交換。今回、恐竜の発掘現場(予定地も)、年縞の場所を時間をかけてすでに調査されている。



 四国で芋地蔵と呼ばれている下見吉十郎あさみきちじゅうろう、1755(宝暦5)年のきょう、80歳を以て没す。伊予大三島、河野氏の裔。子が四人ながら若死してしまった。彼大いに無常を感じ、六部(鈴を鳴らして米銭を請い歩く者)となって廻国の旅に出る。
 九州薩摩に到り、そこではじめて甘藷の話を聞き、その幾つかを貰い受けた。何か善根を積みたいと考えていた彼は、その貰った幾つかをこっそり持って、日に夜をついで伊予に帰り、郷里に甘藷の栽培法を伝え、期年ならずして瀬戸内海一円の地に拡まる。青木昆陽に先立つこと二十余年、これが四国に甘藷のはいった始めである。
2014-08-08 10:34 | カテゴリ:未分類
 くもり。
 休み。畑へ行ったか(?)。
 図書館で本を借りる。アルチュセール(講談社)など。



 幕府の御儒者をして『徳川実紀』の編者として知られる成島司直、1862(文久2)年のきょう歿す。歳八十五。
 天保中、将軍家よしに封事を奉り、歴代将軍の実績を挙げ、時弊の改革すべきを建言した。その中には、「祖先の行うところといえども、民に便ならざるものはこれを改めざるべからず」となどの語があった。やがて諸大夫に挙げられ、図書頭を称した。江戸時代の儒者で諸大夫となった者は、ただ新井白石と彼とあるのみであった。その養子の子が明治初期の文人、長面を以て名高い成島柳北。
2014-08-08 10:37 | カテゴリ:未分類
 くもり、ここ数日雲多く、夏の青空がない。むし暑いだけである。夜になって庭に出ると小雨が落ちてくる。
 敦賀で女性の集まりに県政報告をする。
 近代化遺産(旧北陸本線隧道群)を視察する。杉津あたりの景色はピカ一である。改善を加えるとよくなる部分が沢山ある場所であり、楽しみである。
 家近くの田の稲は、道の高さまで伸びて穂が垂れはじめている。
 トウモロコシは2米ほどになり、夜見ると茎間が暗やみになっている。
 奥暗き夜の唐きび畑かな。



 わが国南画勃興期のチャンピオンの一人であった望月玉蟾ぎょくせん、1755(宝暦5)年のきょう、83歳を以て没した。彼は京の蒔絵師の子であったが、小さい時から絵が好きで、ひとりでいろんなものを描いては着物を汚す。
 玉蟾、性格が朴訥で、少しも名利を貪らなかった。粗衣を着け、陋屋に住まって、更に恥ずる色がなかった。障子などが破れると、画料を包んで来た紙の余りでそそくっておいたという。そして物に拘らぬ、淡泊な、無邪気な、敬愛すべき芸術家であった。
2014-08-08 10:38 | カテゴリ:未分類
 くもり。むし暑い。部長会議。政策議論(学校統合など)。夏休み親子県庁見学デー参加者(33名)。
 ブランドアップ知事感謝状贈呈式、今年は旋盤、料理、ジェラート、チーズ製法、刀剣研磨のそれぞれ違う分野について、優良な成績を上げた人たち。
 夏そばを食す(つるき)。
 「福井しあわせ元気」国体・障害者スポーツ大会準備委員会第5回総会に出席する。有力選手の就業のためスポジョブサイトの開設、競技会場の整備前倒し、審判員も。また障害者スポーツの競技者・指導者の育成。
 最後に、はぴりゅうの機敏な着ぐるみが初登場。一回転スピンなどもし、人気を呼び、チアダンス15人のチームのリトルウイングスも演技。
 勝山市から、また鯖江市からの重要要望をうける。恐竜や人口対策について。
 経済団体と国体選手確保の意見交換会。



 九州福岡の城主黒田長政、1623(元和9)年のきょう、56歳を以て卒した。父如水は智を以て称せられ、長政は勇猛を以て鳴った。しかし長政は、ただの猛将ではなかった。長ずるに従って智を加え、すこぶる父如水の遺風ありとされた。
 長政、毎月一回ずつ異見会というを催した。会衆は五七人に過ぎなんだが、左右を斥け、「いかなことをいおうと、必ず意趣を残すまじ」と誓って、領内の政治その他について、腹蔵なく意見を交換するのだった。
2014-08-13 09:21 | カテゴリ:未分類
 くもりのち晴れ。久しぶりに青空が見えるが、極めてむし暑い。
 政策議論(高速体系と景観、文化遺産)。
 卓伯源彰化縣長が来訪、裕毛屋の謝社長も同行。昼食会、縣長から台湾の選挙について教えられる。
 関総一郎局長(近畿経済産業局)が就任あいさつに来庁。
 北陸経済団体連合会と北陸3県知事との意見交換、懇親会(ユアーズHなど)。今年44年ぶりにinboundがoutboundを上回ったらしい。
 江守会長死去。
2014-08-13 09:22 | カテゴリ:未分類
 朝はようやく夏らしい天気、蝉が鳴く。昨日、新幹線の新型車両が試験走行。朝8時からのテレビをみると広島は雨である。
 政策議論(産学全官連けい)。朝倉氏関係文書の発見、ブルームバーグ配信記事について。
 長谷川農政連局長が就任来庁。日野警務部長が転任あいさつに来庁(国交省へ)。吉田陸自第14普通科連隊長が着任あいさつに来庁、地元石川の出。
 第三次こども計画について。仁愛大学との食育連けい、味の週間、コシヒカリキャラバンなどについて。
 小浜市長、大野市長から、それぞれの要望をうけ意見交換する。
 夕方、高速で雨が落ちて止む。昼にも一度雨があったらしい。
 英語のうまいJALの機長である、さて着陸の操縦は。空中は乱れた雲多し。
2014-08-13 09:25 | カテゴリ:未分類
 暑い、晴れ。昨日の広島慰霊式典の記事多し。
 第4回の原子力小委員会に出る。原子力人材の確保についてがテーマ。きょうは上階で明るい部屋である。一人3分のベルが鳴るようになる。委員からは、原子力発電のコストの8割は人材、火力はその逆。日本のとりえは技術と人間力であり維持するだけで大変などの意見。当方からはリスクと原子力必要性の国民理解、最終責任を国が背負うという二点が、福島事故の経験をもとにした絶対の条件と述べ、いまは双方とも政府あやふやなままで議論している問題ありと指摘。
 ブルームバーグ・ニュース(通信社)が「ふるさと納税」のインタビュー(東京事務所に女性記者2人)。
 ふるさと知事ネットワーク提言活動、菅内閣官房長官に鈴木知事と一緒に要請。ぶら下がり取材あり。
 厚生労働省の二川医政局長、福島官房審議官らに新たな財政支援制度の要望などをする。
 江守さんの通夜に出る。
 暗くなる直前に畑へゆく、ミニトマトが赤々。夜になって雷鳴がし、雨が一時落ちる。台風(11号)がかつての室戸台風のコースで接近しつつある。



 「天晴の劇作者」と褒められた十返舎一九、1831(天保2)年のきょう、57歳を以て没した。
 『膝栗毛』の初編を出してから二十年の久しきに亙って始めて完成を遂げ、主人公の弥次郎兵衛、喜多八の名は勿論、神田八丁堀など、ありもしない地名までが有名になってしまった。そして作者十返舎一九の名も一躍劇作者として重きをなし、一九その人から弥次喜多式の人物かの様に信ぜられてしまった。一九その人は、存外神経質な偏屈屋であったという。
 会津藩の家老としてその名を知られた田中三郎兵衛玄宰はるなか、1808(文化5)年のこの日、61歳を以て卒した。楽翁公の如きも常に部下を戒めて「会津の三兵に笑われな」と言ったという。
2014-08-13 09:32 | カテゴリ:未分類
 アレックス君のあとのオースティン・マクベイン嬢(インディアナ州からの国際交流員)の着任あいさつ。4年で日本語をマスターしたという。
 戸口トンネル開通式に出席する。今立の権兵衛太鼓、東陽中生のブラスバンド、児童の小神輿が二基。テープカットと風船、コンセントが切れて風力のゲートが途中一度折れる。南騒北静。式が終ってすぐ雨が落ちたようだ。
 佐久間社長(オランダ三菱商事)、担当の大谷氏、石川和紙理事長らとレンブラント・プロジェクト等について意見交換(粟田部)。5月の訪蘭の際に、同氏から美術館長に案内いただいた。
 原子力発電の安全に関するANSN講師の育成研修者と面談、代表二名の感想。旭理事長、町氏も出席。
 美浜町長からの要望をうける。
 増永前会長(環境ふくい推進協議会)が退任され、意見交換を行う。
 日曜日に台風接近の予報のため、障がい者スポーツ大会、少年野球など残念ながら中止の態度決定。
 歴青会に県政報告。
 帰宅頃には雨が落ちはじめる。



 桂園派の歌人熊谷直好、1862(文久2)年のきょう、81歳を以て歿した。熊谷直実から二十四代の孫。桂園一派のやさしい静かな歌を詠んだ人であるが、直好その人はというと奇偉不羈で、武技をよくし、体も大きく、頭に大きな髷を結っていた。物頭役となり、御究方も勤めたが、訴訟を聞くのに書役を使わず、口供が終ると自分で筆執って書き止めるのに、ついぞ要点を逸しなかったという。「里の子が沢にしぎわな張りしより心にかゝり夜も寝られね」
 松島瑞巌寺の中興、雲居禅師、1659(万治2)年のこの日、九十八歳の高齢を以て寂した。
2014-08-13 09:37 | カテゴリ:未分類
 朝、トウモロコシを初食す。小さいが柔らかい。「花子とアン」をみる、幸わせな子供の姿は次の事件の前ぶれか。
 台風接近のことあり公務がなくなる。台風は南に停滞しているのか時間がずれている。今日は一日雨ふり。原稿を見直す。
 映画「シャーロック・ホームズ」、入院患者、マスグレーブ家の儀式書、第二の血痕、空き家の怪事件(ホームズの3年ぶりの生還)、プライオリ・スクールを鑑る。
 旧盆の少し前にて話しでき。葡萄食ひたる頃であったか。



 儒医の山脇東洋、1762(宝暦12)年のきょう京都に歿した。歳五十八。旧来の遺書の説の荒誕を極めているを知り、内臓の有様に疑いをはさみ、自ら獺を割いてその臓腑を実際に調べたが、宝暦中刑屍を解剖するを実地に見て、明かに旧説の誤謬を悟り、『臓志』二巻を著して千古の瞑蒙を開いた。これがわが国に於ける実際解剖学の嚆矢であった(玄白の解剖立ち会いは、1771年)。
2014-08-13 09:40 | カテゴリ:未分類
 台風対策の部長連絡会議をすると朝連絡あり、了解。
 台風は3時ごろ風が半時間ほどやや強く吹いたり止んだりして終る。増水していた池田町長に電話するも、大事なしとのこと。
 コンサート来福の平原綾香さんを訪ねる(フェニックス)。お母さんは同行せず。



 一面は大岡越前守配下の町役人で、一面は真淵門の歌人であった橘枝直えなお、1785(天明5)年のきょう、94歳という長寿を以て歿した。枝直は古武士の風を備えた剛毅な性格の人だった。
 伊勢の松阪に生れ、同じく伊勢山田の奉行だった大岡忠相の跡を慕って江戸に出、その組与力に抱えられ、後には吟味役を勤めた。大岡が名判官として江戸の民衆に評判された裏面には彼枝直があったといわれている。そして享保の御定書百箇条も彼の手になった。
2014-08-17 08:47 | カテゴリ:未分類
 台風は大事に至らず。台風があっという間に昨日過ぎたが今日は曇っている。
 部長会議。ミラノ博、ふるさと納税、観光新戦略について。
 高齢者叙位・叙勲伝達式。
 石田警務部長が新任あいさつ。
 9月補正概要、審査。
 (発)台風一過けさ新聞の休刊日、(付)歯のいたくなる堅い瓜なり。



 明治落語界の棟梁、新作人情話の名人と称さるる三遊亭円朝えんちょう、1900(明治33)年のきょう、62歳で世を去った。最も有名なものに「牡丹燈籠」、「塩原多助」がある。
 勧めによって禅に参じ、苦辛の結果悟道を得た。そして桃太郎の童話によって大悟した彼は、弟子達にも稽古に桃太郎を話させた。そしてなお弟子に向って、「自分のイイと思うところをまじめに話すがよい。それでお客があくびして帰ればそれまでだ。」、「ただ信ずるところを真直ぐにやれ。お客の喝采をあてにするではだめだそ」と教訓したという。
2014-08-17 09:03 | カテゴリ:未分類
 今日も曇りであり、この夏は青空がほとんどみえない。
 気比高、初戦大勝(朝刊)、きょうで富山、石川も北陸勢は初戦突破とのこと。
 オリンピック対策、アクアトム、トワイライトエクスプレス要望など。廃炉レポートについて。
 老人福祉計画・介護保険事業支援計画、子ども・子育て支援新制度について。
 織田・瀧口選手が全国中学生なぎなた大会の優勝報告。まさに凛々しい双の女子中学生である。
 コシヒカリ一族サミット、企業的園芸、中山間地域対策について。
 北川貴理選手(陸上400m)世界ジュニア陸上競技選手権大会準優勝、全国高校総体優勝報告。いかにも速そうだ。国体の県民運動について。鎌倉葡萄ができる。



 駿河台の先生室鳩巣むろきゅうそう、1734(享保19)年のきょう、77歳を以て歿した。同窓の新井白石の推薦で、正徳元年から幕府に仕うること二十三年、八代将軍吉宗の奥儒者となって、政治の諮問に与り建議するところも多かった。
 彼は学者を以て終始した。しかも彼は時務に迂遠な腐儒ではなかった。元禄十五年赤穂浪士の復仇の挙があって、天下の公論が未だ定まらざる先に、浪士を呼んで義人といった。そして早くも『赤穂義人録』の述作に志した。その著以外に、今なお広く読まるるものは国文の『駿台雑話』がある。その文章やはり人物から来るのであろう。ゆったりしていて、感情が行き渡って、或は白石の和文以上であろうかと思う(と銑三記す)。
2014-08-18 09:10 | カテゴリ:未分類
 やや晴れの曇り。
 月末の原子力防災訓練について、エネルギー調査会について。
 福井の繊維企業でdeep chinaを徹底する社長もおられる。
 陶芸の里水野邸移築、ものづくりの里プロジェクト協議会について。
 気分が盆休み的である。
 今日の日経新聞等、このところ一、二週間、来年度の税制改正として地方振興の柱の1つに「ふるさと納税」拡大案の記事多し。
 「My Humorous Japan」ブライアン・W・ポール著(NHK出版)をようやく読み終る。昨年の年末に語学の先生から呈されたもの。易しい英語で書いてあり、日常的な会話にも役立つ本だと思う。1991年初版であり、2011年までに47刷発行されている。



 近世の詩宗管茶山かんちゃざん、1827(文政10)年のきょう、80歳にして逝いた。茶山は備後神辺の人福山の藩士、京都に学び、帰って家塾を開き村童に教授した。しかし、詩名は天下に鳴っていた。
 茶山の病んだ時、豊後の広瀬旭荘が側にいた。茶山薬を呼ぶ。あいにく火がない。下男がのろのろ起しにかかる。旭荘もどかしがって、行って手伝おうとした。茶山曰く、「お待ちなさい。もういいつけてあります。今また出かけたら、あわてて一層手間取りましょう」と。僕を待つにも、茶山はかように寛厚であった。
2014-08-19 09:09 | カテゴリ:未分類
 くもり、午前中薄日さす。
 昼すぎ、急に雨が落ちすぐ止む。あとは日がしばらく出て、総じてむし暑い。
 二、三日前から庭や道傍の草むらに虫の草がちらほらする。秋である。
 午前中は瓜畑の茎や葉を返して運んだが、暑くてそこでまず止める。夕方、瓜畑であったところを掘り返し、やや雑に畝が一列できる(暗くなり自分の仕事ぶりがよくわからない)。
 村山由佳「さいごの恐竜ティラン」、「約束」を読む(了る)。



 将軍慶喜の懐小刀、原市之進はらいちのしん、1867(慶応3)年のきょう、幕臣のために殺された。時に歳三十八。はじめ攘夷論を唱えて同志を鼓励した。「わが目の黒き間は徳川幕府を亡さず」と幕府を維持することに肝胆を砕いた。それが後に将軍慶喜を輔けて機密に参与するに至って、鎖港の非を悟り開国論者に一変した。そしてこれが却って奇禍を買う原因となったのだ。
2014-08-21 09:57 | カテゴリ:未分類
 今日も天気よくない。午前中しばらくして、小雨が降り始める。
 軒下に垂れ下るオキナワアサガオのツルが下に向くので、ネットに出し入れして上向に伸す。このとき小雨が顔にかかる。この夏は8月に入っても梅雨のようである。温度は低くないが。午後になっても雲が低く、雨が降ったり止んだり、そしてだんだん降りだす。
 越前市の恒例花火大会は中止しないということで、向かう。走行中、開始予定の直前に中止の連絡。そのまま現場へゆく、テントに三村会長ら。対岸には照明があちこちされて増水を警戒し、暗中を設備の撤収中である。芦山は雨中にうっすら見えて、谷部に白い霧がかかっている。芝生は水びたしで足を濡らす。しばらく談話して帰路。



 俳人山口素堂そどう、1716(享保元)年のきょう、75歳を以て歿した。甲斐の酒折の宮に仕え、しばしば江戸に出、京都にも遊んで和漢の学を修めた。俳諧は季吟に従って、二歳下の芭蕉とは相弟子の仲だった。
 素堂は郷里の笛吹川の工事に勤役して功を全うした。生前から、甲州には祠堂が建てられ、桜井明神、山口明神と並称された。彼は誠実懇篤な人格者であり、蕉門の人々から重んぜられたのも、まことに故あることだった。
 「西瓜ひとり野分をしらぬ朝かな」、「目には青葉山ほとゝぎす初松魚」。
2014-08-21 10:01 | カテゴリ:未分類
 今日も天気よくない。警報も出て雷も鳴る。降ったり止んだりという感じ。午前中、畑へゆき区画のそのままになっている残りの部分、耕すも30分で雨が来て帰る。
 新聞の溜まっていたのを読む、英字新聞は記事や写真などの観点が邦紙とちがうので、英語はもとより仕事のヒントを与える。



 河井継之助、1868(明治元)年のこの日歿した。歳はまだ42であった(司馬遼太郎の小説の主人公である)。長岡の牧野侯の家臣であり、経世の学に志し、その識見は嶄然時流を抜くものがあった。
 彼は薩長諸藩が倒幕の手段として尊王攘夷の借名的旗幟を樹てるのを憎み、対外問題をよそに内乱などを醸す場合では断じてないと信じた。そして最も平和的に時局を解決し、大政はやはり徳川氏に委任して更始一新の実を挙げたいと思った。彼は一種の平和論者であったのだ。
2014-08-21 10:12 | カテゴリ:未分類
 今日も天気さえず。警報が出る、福知山と羽咋市で死亡事故。
 雨の止む間に赤トンボが出る。雀も大勢でさわぐ。モズの声か、蝉に似た聞かぬ声する。夏椿の木にキツツキのような鳥来る、背中に白い斑点がある。午後の後半からようやく明るくなり畑へゆく。別の区画の瓜畑を返して合せて七列畝をつくる。しかし途中で雷鳴がし雨宿り。どしゃ降りとなるも10分ほどで止む。あと少し明るくなったがすぐ暮れてしまい、暗闇の仕事になる。
 敦賀気比2回戦(対春日部共栄)、再び圧勝。
 クラシック音楽館でギター協奏のコンサートを聴く(大友直人指揮、ギター荘村清志など)。テレビに映る聴衆の姿は団塊世代である。
 きのう今日と、大雨・土砂崩れ警報、原子力、医療などアクシデント情報あり、まったく雨読的なお盆ではない。



 わが国眼科医学の功労者である土生はぶ玄碩(げんせき、1848(嘉永元)年のきょう、87歳の高齢で歿した。玄碩は江戸に出て杉田玄白の塾に寄寓し、芸州侯の息女で南部侯に嫁がれた教(のり)姫の眼病を治し名声を馳せた。幕府の侍医となり、後の十二代将軍家慶の眼病を治療した。
 シーボルトから瞳孔散大薬の薬方を教わりたいと頼んだが、なかなか応じない。それを何かと贈り物をしたりして、ついにその方を知るを得た。わが国の眼科医界はこの時からはじめて開瞳方が出来て、実地治療上に一大改革を齎すことになったのだ。
2014-08-24 08:53 | カテゴリ:未分類
 積雲とすじ雲と淡い青空、ようやく今日は夏の空になったが、同時に秋の空である。
 松元総務課長(個人情報保護委員会)来訪、面談。
 長崎国体の入賞対策会議に出席する(国際交流会館)。代表選手の決意表明(その前に各団体との意見交換があった模様)。長崎での成果がないと次の展望ができないと述べる。はぴりゅうもよく動く。
 鹿児島県副知事が来訪。
 サマースクールについて、文科大臣との面談について。
 夏休み親子県庁見学デー(30名)。
 第三回観光新戦略について、戦略が抽象ではいけない。
 9月補正結果ヒアリング。
 暮れ方の東の空は、灰がかった淡青色の雲が横に広がっており、どうも天気がすっきりしない。



 芭蕉歿後の俳壇の一方に覇を唱えた伊勢山田の神官、中川乙由おつゆう、1739(元文げんぶん4)年のきょう歿した。歳は六十五であった。
 凡俗と逢うことを厭い、麦畑の中に庵を結んでそれを麦林舎といった。というと超脱的であるが、その一面には、老いてもなお花街に足を入れ芝居に遊んだ。
 彼の句集は「麦林集」という。いい句に富んでおり、彼が俳味を体得した人であったことを知り得る。
2014-08-24 09:02 | カテゴリ:未分類
 きょうはほとんど快晴であり、昨日から遅れてきた夏である。福知山市は浸水(朝刊)。
 高速道をまたいで飛ぶ鳥あり。道よぎる不如帰かもちがうかも。
 8月15日に句を記すのを忘れた。終戦日朝ドラに出る海の虹。
 午前中に上京、東京はずっと好天だったらしい。冷房を下げる0.5℃だけ。
 総合資源エネルギー調査会の基本政策分科会に出席する。茂木大臣が出席、よって政府の腰をすえた対応を改めて要請、三村会長に替ったコマツ相談役の坂根氏が会長。
 羽田はだいだい色の夕焼けである。JAL機内の室内照明が変ったという説明だが、白くて妙である。
2014-08-25 09:19 | カテゴリ:未分類
 晴れ。35℃(昼)。
 番組収録(元気通信)、里山里海湖について。
 原子力防災計画の改訂について。
 夏休み親子県庁見学デー参加者、子供たちラプト君などを喜ぶ。
 人口PT委員会出席について。
 高志高校に次いで藤島高校に行き、英語授業(2年生)の意見交換を行う。ちょうど昼休み、ラジオ番組も流す。
 小学校教育研究鯖丹大会に出席し講話する。のち研究会は8グループの討議があるとのことだが、各分科会テーマを説明する言葉がどれもよく似ているのはどうして。
 足羽川ダムの地域振興について。学力調査結果について、ふるさと文学館について。
 敦賀気比高校16-1(盛岡大学付高校)で三たび圧勝。
 広島市安佐地区で大規模土砂災害、40名以上の死者、行方不明者。
 一日暑かったと家人。



 細川幽斎ゆうさい藤孝、1610(慶長15)年のきょう卒す。歳七十七。戦国の人々の内でも、文武諸芸の達人と呼ばれ武将にして歌人、特別の風格を備えていた。
 貞徳の尋ねに、歌よむに歌書はいらぬといった。これは矛盾に似て矛盾でない。彼はまた、「学問するには乞食袋のようにするがよし。善きことも悪しきことも一つに入れおきて、入用に従って使うべし」ともいっている。
2014-08-29 08:35 | カテゴリ:未分類
 第63回福井県戦没者追悼式を行う(嶺北忠霊場)。いつものように法師蝉がちょうど鳴く。例年ほど暑くないが、首の回りに汗をひどくかく。テントの中の出席者が又まばらになった。
 食育、園芸センター、水産計画、林業計画、グリーンセンターについて、ビジネス化がいる。
 下村文科大臣との面談(小松空港で)。もんじゅ、国際協力(IAEA)、和紙世界遺産、学校統合、幼保連携について要望と意見交換。あすの全国高校PTA連合会大会に出席のため来福される。
 6時の小松発で上京。雲はあるが空気がすんでおり、夕暮れの中に日本海側の海岸線。おそらくは氷の山か大山らしき(?)山影もみえるほど。しばらくすると雲の中。



 水戸威公および紀伊南龍公の生母、養珠院お万の方、1653(承応2)年のきょう、江戸邸でなくなる。歳は七十七。
 容儀が端正であった上に、性質が慧しく万事に心を使って遺漏がなかったといわれる。嘗て駿河にあった頃、浪々の身であった塙団右衛門のことを聞かれ、「何かの時のために、良き武士を一人でも多くいとしいお子にまいらせたい」と、年々御化粧料として五百両賜る中から二百両を割いて、それを毎年団右衛門に贈られたという。
2014-08-29 08:36 | カテゴリ:未分類
 広島災害で死者39人、行方不明者51人に上る(朝のテレビ)。渋谷の通りでタクシーから下りる塾通いの小学生あり。
 経産省の黒田製造産業局長に炭素繊維の橋底板のプロジェクトの要望を行う。
 自民党の「ふるさとに人口と活力を取り戻すPT」に税制、子育て政策などについて講師として説明をする。山口座長、赤沢議員のほか、宮下、鬼木、務台、大岡、田中、豊田の各議員。
 白い高い入道雲がよく発達しており、小松へ戻る便はいつもより感覚的に高く飛んでいる。そのため中央山嶺と盆地の地形が西からの光線をうけ、より形状がダイナミックに見える。さらに、能登半島の先端近くまで短縮されて見える。
2014-08-29 08:40 | カテゴリ:未分類
 晴れ、ないし曇り。
 地域女性の皆さんに講話、意見交換(AOSSA)。恐竜博物館の駐車場、奥越の道路整備など。
 あす終了のオランダ風景画展を見る。ハーグ派の風景画家が中心。入場客は夏休みのため子供づれ多し。館で久し振りに会った友人と喫茶店でしばらく雑談。卓上のガラス瓶にベンケイ草の小花が生けてある。
 恒例の緑苑自治会夏祭り(緑苑公園)。太鼓演奏、ラプト君が登場、司会の土橋課長が町内。子供がまた増えており、すでに2年連続の体育祭優勝。今年の祭はそんなに暑くなく、雲もややある。
 「ふところに入らんとしけり秋のせみ」梅室ばいしつ(江戸後期)(読売「四季」長谷川櫂8/23から)



 女流の勤王家として聞えた近衛家の老女村岡、1873(明治6)年のきょう、八十八の高齢を以て洛西嵯峨の直指庵に逝いた。
 京都の人、津崎氏、近衛家に仕えて上臈となり、その名は勤王志士の間に知られた。忠熈公に逢おうとするには、まず村岡に取り込まねばならないとされていた。月照や西郷隆盛や、みな村岡の周旋に依って公に近づいたのであった。
2014-08-29 08:43 | カテゴリ:未分類
 午前から二時近くまで、畑。日は射さないがむし暑い。新しい畝を2列、そして一度作った畝六列をもう一度耕す。秋耕や肥料袋に腰下す。秋耕や終えてすとんと腰下す。
 敦賀気比高敗れる、残念。
 色紙十枚かく。
 永平寺大燈籠流しにはじめて出席する(永平寺河川公園)。はじめ雨あり傘さす。女性歌手と永平寺中学生の歌、そして150名あまりの僧による読経のころは幸い雨が止む、もしくはポツリポツリ。佐藤監院、河合町長、服部実行委員長と一緒に燈籠を流す。流灯の燃えて流れに遅れけり。テントではドーナツ、焼ソバなどいろいろ販売、みんな元気である。しばらくして河辺に寄ると、流灯が蛇行して趣きある風景である。



 米沢藩上杉鷹山公の侍医の藁科松伯わらしなしょうはく、1769(明和6)年のきょう、わずか33歳にして逝いた。資性剛毅にして学を好んだ。
 医としての松伯は、真に仁の術実行者であった。術にも秀で、日々患者は家に溢れ、庭に筵を敷いて坐した。そして彼はどんなに卑賤な者であろうと、雨風雪の厳しい日であろうと、必ず往診して患者をわが子の如くに扱った。それで人々は松伯を神の如くあがめ、その像を画いて祭る者さえあったということだ。
2014-08-29 08:45 | カテゴリ:未分類
 くもり。早朝家人が白菜の苗を移す。ちょうど夜は雨が降ってくる。
 部長会議。9月補正知事査定をはじめる。敦賀の将来について。あわら市からの要望をうける、新幹線関係が中心。
 若手起業家・福井市・県職員との交流会に参加する。



 わが国に於ける陽明学者の祖中江藤樹なかえとうじゅ、1648(慶安元)年のきょう、41歳にして歿せされた。後世尊称して近江聖人という。
 「問ふて曰く、人間世第一に願ひ求むべきものは何事や。答へて曰く、心の安楽に極まれり。問ふて曰く、人間世第一に厭ひ捨つべきものは何事や。答へて曰く、心の苦痛より外はなし。問ふて曰く、苦しみを去つて楽しみを求むる道はいかん。答へて曰く、学問なり」。『翁問答』の一節で、彼の透徹した知見の一端知るに足るであろう(と銑三記す)。
2014-08-29 09:02 | カテゴリ:未分類
 9月補正知事査定。
 竹田新財務局長あいさつ。
 原子力防災訓練、ヨウ素剤の配布について。
 夏休み親子県庁見学デー。
 朝刊、学力テスト7年連続本県上位。今年から、下位県が上昇し差が平均化しはじめる。



 近世に於ける南画の名手として知られている田能村たのむら竹田ちくでん、1834(天保5)年のきょう、59歳を以て大阪に歿した。
 豊後の岡藩の士で、領内の百姓一揆に彼は言を尽して藩侯を諫めた。その建言書の如き、騒擾の罪は有司にありとして仁政を請い、慈悲を説き、愛の精神の紙面に溢るるものがある。しかもその言遂に容れられず、三十七歳にして致仕してしまった。頼山陽と互いに知己を以て相許し、竹田の画には山陽が多く賛をした。気韻高く、些の俗気を帯びないところに竹田の画の尊さがあり、そこにまた彼の重んぜらるる所以があった。
2014-08-31 08:25 | カテゴリ:未分類
 第63回戦没者追悼式を行う(敦賀市文化センター)。
 第8回経済界サマースクールに出席する(ホテルハーヴェスト)。
 立岡次官の講演、次官・益子三菱自動車会長・川田会頭の鼎談。国のエネルギー政策に厳しい指摘。
 ゲレンデで記念撮影、例年のように日照らず。終ってポチポチ雨落ちるが、雨降りとはならず。
 村山由佳氏、馬場典子氏と小生との対談。
 講師と参加者による夕食懇談会。参加者が増えたため会場いっぱい。舞鶴の音楽隊による演奏。



 大儒の貝原益軒かいばらえきけん、1714(正徳4)年のきょう、八十五歳の高齢を以て逝かれた。黒田藩の儒臣として、また社会教育家として力を尽し、七十一歳で致仕してから晩年の十五年間は主として力を述作に用い、その間に三十余部の書を著された。その九十年に近い生涯は、実に刻苦精励の歴史であった。益軒先生は、平凡を積んで非凡にまで到られた人だった。「聖人を以てわが身を正すべし、聖人をもって人を正すべからず。凡人を以て人を許すべし、凡人をもってわが身を許すべからず。」
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